私が暮らす街
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掲載インデックス
第266回 「半農半X」「二刀流」の生き方の理想郷」 2023年12月15日号
県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん
第265回 「マカオ国際食文化フォーラムレポート」 2023年9月15日号
全国通訳案内士 髙野 あきさん
第264回 「マカオ・国際食文化フォーラム」 2023年8月15日号
日本料理わたなべ 渡部 賢さん
第263回 「三井家の書画と工芸展によせて」 2023年7月15日号
東北芸術工科大学 非常勤講師 山口 博之さん
第262回 「彼の山、彼の川」 2023年6月15日号
県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん
第261回 「歴史を楽しむこと」 2023年5月15日号
致道博物館主任学芸員 菅原 義勝さん
第260回 「デジタル田園都市構想」具現化を 2023年3月15日号
県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん
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2023年12月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん
第266回 「半農半X」「二刀流」の生き方の理想郷
22023年WBCで侍ジャパンが世界一になり、MVPは前例のない「二刀流」で大活躍した大谷翔平でした。アメリカ・メジャーリーグでア・リーグのホームラン王とMVPを獲得するなど活躍を続けています。
二刀流は、「Two-sword style」、「Two-way player」、
「Dual-wielding style」など
の英語訳があります。
二刀流の基をたどると宮本武蔵に遡ります。江戸時代初期に大名家に仕えた剣術家・芸術家で、兵法書『五輪書』の著者。「二天一流(二刀一流)」の開祖です。
私の実家は兼業農家(半農半X)で、父は米作農業と旧国鉄の線路保全や除雪組合長を、母は野菜栽培と行商をしていました。半農半Xとは、農業収入に兼業収入を加えて生計をたてる「二刀流」の生活を指す言葉で、塩見直紀が1990年代半ばに提唱し、「持続可能な農ある小さな暮らしをベースに、「天与の才」(X=天職、使命、生きがい、大好きなこと、ライフワークなど)を世に活かす生き方」と定義づけました。
鶴岡には農業と他の仕事を組み合わせた暮らし方が元々あり、夏は米作りで冬は酒造り、山伏、地産地消の農業と民宿や商業などに従事する人や移住者が多くいます。
国では「働き方改革」を2019年に施行し、長時間労働の是正やテレワークなどの施策を講じていますが、新型コロナウィルスの感染拡大で在宅勤務・テレワークの普及が一気に進み、都心から地方への移住や二拠点生活を考える人も増えました。
最近は、企業が副業を認めたり、公務員にも副業として農業を勧める自治体が出てきました。専門性を2つ以上持つ働き方・生き方「二刀流」の時代の到来です。
知の巨人・荻生徂來の「徂徠学」は古文辞学ともいわれ、古い辞句や文章を直接読む(素読する)ことで後世の註釈にとらわれず孔子の教えを研究しようとする学問です。
優れた人材育成を目的に、庄内藩酒井家九代目(藩主として七代目)・酒井忠徳が創設した藩校「致道館」(論語の「君子ハ学ビテ以テソノ道ヲ致ス」が原典)は鶴岡公園近くにあります。その名を冠した中高一貫校「県立致道館中学校・高校」が来年開校です。
庄内藩では徂徠学を教学とし、自主性を重んじた教育方針で、質実剛健な教育文化の風土を育む土壌を作りました。その教育風土と気質は、明治の政治家で漢学者、佐賀県出身の副島種臣に「沈潜の風」と評されました。「沈潜」の語は、儒教の経書の1つである『書経』や『中庸』にあります。副島が庄内を訪れ『詩経』を講じた時、「庄内は既に徂徠学を抜け出て庄内学です」と語り、庄内には藩祖以来「沈潜の風」があると述べました。「沈潜の風とは強情っ張りが芯になり、華やかなことはせずじっと底に潜み、自分の教養を高めることで、そこには反骨精神が生まれること」(犬塚又太郎の「庄内人の風格について」)だといいます。「花よりも根を養う」が庄内人の生き方だそうです。こうした教育風土の中で、「文の達人」など多くの優れた文人が輩出しています。
港町で商業都市・酒田は近代的な「進取の風」といわれます。鶴岡の「沈潜の風」を融合し、根も花も養う「二刀流」を今後目指したい。
米どころ庄内平野は豊かな自然や食に恵まれ、歴史・文化遺産を持ち、さらに慶應義塾大学先端生命科学研究所や山形大学農学部など、産官学連携のバイオテクノロジー(生物工学)研究施設と企業が鶴岡サイエンスパークを形成。宿泊施設や子育て施設も集まる次世代の知的産業振興の街づくりが進行しています。
かつて世界経済の中心が農業から工業へと変革した産業革命がありました。18世紀末以降、石炭や水力を利用した蒸気機関による軽工業の機械化である第一次産業革命が起こり、20世紀初頭に石油や電力を用いて大量生産する第二次産業革命、1970年代初頭に電子工学や情報技術で自動化する第三次産業革命が続きました。
そして現代、IoT(Inter
net of Thingsモノのインターネット)やAI(人工知能)が高度な知的活動を担う第四次産業革命が起き、世界共通のインターネットが生活基盤の在り方を変えています。
近未来に起こるであろう第五次産業革命は、情報通信技術とバイオテクノロジーの融合「二刀流」です。世界に発信し、相互に交流できる「デジタル田園都市」を目指す鶴岡は定住・移住の未来都市、理想郷といえましょう。
2023年9月15日号 国通訳案内士 髙野 あきさん
第265回 マカオ・国際食文化フォーラム
先月号の渡部賢シェフのエッセイに続き、「マカオ国際食文化フォーラム2023」(6月30日〜7月2日)について、私からは同行通訳の立場で伝えたいと思います。
鶴岡市からの派遣団は、渡部賢シェフ(日本料理わたなべ)、大川尋子主任(鶴岡市食文化創造都市推進課)、そして私の3人。《闘う男》渡部シェフによる2つの料理イベントと、《頼りになるキーパーソン》大川さんのユネスコ創造都市担当者会議への出席がこのたびの柱です。
初日にザ・ベネチアン・マカオで行われた開幕セレモニーは、並々ならぬ熱気を帯びていました。中国政府の厳しいロックダウンが解除され、マカオ政府にとってはパンデミック以来初となる、満を持しての国際イベントだったのです。壇上に世界各都市の料理人と職員がずらりと並び、数多くのメディアからフラッシュを浴びる渡部シェフと大川さんの姿がありました。
渡部シェフの、ザ・ベネチアン・マカオでの「ショーケース」、老舗ホテルのソフィテル・マカオ・アット・ポンテ16で開催された5人のシェフのコラボレーションディナー「10ハンズ」は、共に多くの賞賛をいただきました。料理がテーブルに運ばれるタイミングで登場した渡部シェフは、愉しく弾んだ雰囲気の中、拍手で迎えられました。シェフの郷土への思いにあふれた言葉に聞き入るお客様の興味津々な表情が印象的でした。
使用する食材のほとんどは現地で準備されることになっていましたが、「できる限り、鶴岡産の本当においしい食材を海外の人たちに味わってもらいたい」と、ずっしりと重いスーツケースを複数の会場に運んでいた渡部シェフ。移動のたびに全身汗だくな姿が気の毒でしたが、その優れた技術と料理に対する美意識に担保されたパフォーマンスが、現地で高い評価を受けたことに繋がったと思います。日本を代表する料理人としてミッションを完璧に遂行してくれた健闘を、讃えずにはいられません。
もう一つの重要な柱である食文化創造都市担当者会議。創造都市ネットワークの方向性やガイドラインなどが話し合われる場です。複数の語学が堪能な大川さんは通訳を介さずに参加。他都市のシェフや職員、マカオ政府関係者、ユネスコ職員、どんな方とも臆せず積極的に交流を深めていく姿勢は頼もしく、彼女を通じて鶴岡の食文化分野における国際性をひしひしと感じました。
ここで、鶴岡市が国際舞台で積み重ねてきた経験値が最大限に活かされていたことにも触れておくべきでしょう。まずは、マカオ政府観光局のスマートな準備進行に対して、本市の食文化創造都市推進課チームの対応の素早さ。交わされた膨大なメールや資料を、迅速に英語から日本語、日本語から英語へと翻訳し、料理人はじめ関係者に共有し、もれのない調整を行っていました。
また、海外の厨房ではハプニングが多発するものです。例えば用意された豆腐が粘土のような質感だったり、炊飯器が自動炊飯でない、調理器の火加減調整が慣れない電圧の上げ下げによるものだった、などなど。これらを幅広く想定し、現場でのマイナス要素を大きく減らしていたのです。14年に国内で最初にユネスコ食文化創造都市に認定された本市はこれまでに、ビルバオ(スペイン)、マカオ(中国)、プーケット(タイ)、成都(中国)、バレンシア(スペイン)、全州(中国)などに多数の料理人を派遣したキャリアを持っており、これらの機会から多くのことを学び取っています。ソフト面、ハード面ともに注意深く周到な事前準備ができたからこそ、完成度の高い料理の提供を実現できたのです。
創造都市ネットワークの創立が04年。本市の加盟からまもなく10年を迎えます。年々新たに認定される都市があることを考えると、メンバー都市の中でも中堅になってきているのではないでしょうか。ふと、議長席に座って進行を担う「TSURUOKA」のイメージが目に浮かびました。私のまったくの妄想でしょうか。国際都市・鶴岡が日本の中心となって世界中の都市を招き、グローバルな学びや課題を共有し、サスティナブルな発展にインパクトのある役割を果たす日が、遠くないうちにあっても不思議ではない気がするのです。
【髙野 あき(たかの・あき)さん】
鶴岡市生まれ。2006年に翻訳事務所「翻訳ラボアレグリア」を設立。コミュニケーションのための英語を子どもからシニアまで楽しく学んでもらおうと12年、英会話教室「ハッピーグローブイングリッシュ」を開設
2023年8月15日号 日本料理わたなべ 渡部 賢さん
第264回 マカオ・国際食文化フォーラム
ユネスコ食文化創造都市の一つである中国・マカオ特別行政区で、6月30日〜7月2日に「マカオ国際食文化フォーラム2023—食文化都市ショーケース」が開催され、鶴岡市の料理人として参加してきました。その内容を紹介したいと思います。
初 日、開会式を迎え、ショーケース(料理デモンストレーション)の準備をしながら世界各国の料理人や現地の学生との交流が始まりました。
2日目はショーケースの本番で、鶴岡の郷土料理を調理しながらピーアールしました。1品目のデモンストレーションは、だだちゃ豆ごはん。鶴岡・白山地区で代々栽培されてきただだちゃ豆と、県を代表する鶴岡生まれの米・つや姫を使いました。素材の美味しさをそのまま世界の皆さんに知っていただきたいと思い、だだちゃ豆とつや姫、調味料は鶴岡から持参し、水も日本の水に近いものを準備してもらいました。調理法も、美味しさを十分に引き出すことを心がけました。
2品目は胡麻豆腐あんかけ。日本料理に欠かせない料理である胡麻豆腐は、鶴岡で昔から付け合わせに使われてきたそうめん、ニラ、ゆで卵を添え、昔ながらの甘じょっぱいあんをかけました。ここでも胡麻や葛などの材料は鶴岡から持参したものを使いました。
来場者の皆さんには、クッキングショーを見ていただきながら、作り方の説明と一緒に鶴岡の食の話を。四季折々の豊かな食材に恵まれ、旬の味を生かした多様な郷土料理と食文化が味わえることを紹介しました。料理を味わいながら、鶴岡の歴史と文化に大変興味を持っていただけたようでした。
ショーケースでは、各国のシェフたちと、それぞれの国の料理の作り方や、世界各国の食材や香辛料の使い方を学ぶことができ、私自身が大変刺激を受けました。調理を手伝ってもらった学生さんたちの、話を聞く真剣な姿勢、真面目に取り組む姿にもとても感心しました。
3日目は、ソフィテルマカオホテルで料理人コラボイベント「10HANDS」があり、参加させていただきました。5人のシェフの手で料理を作り、お客様に食べていただくくというもの。中国(マカオ)、タイ、コロンビア、メキシコ、日本のシェフで一つのコースを作りました。日本はスープの担当ということで、私は、日本料理では花形である椀物をスープという位置づけで披露しました。
タイトルは「日本の夏、清涼冷やし椀物」。だだちゃ豆、茄子、海老、鮑、花穂茗荷、大葉、梅肉など鶴岡の食材をふんだんに使い、日本の夏をイメージして作りました。ベースにしたかつおだし、だだちゃ豆の風味と味、共に大変関心を寄せていただき、そして喜んでもらうことができまました。
各国のシェフたちも皆それぞれ、その国ならではの食材、調味料、調理法を使った素晴らしい料理を披露されていました。その中でもコロンビアのシェフは「10HANDS」をイメージした両方の掌を描いた器を用意しており、その料理の背景や、家族への愛情、物語がひと皿の中に凝縮されていました。
今回の国際食文化フォーラムは、マカオという地で普段関わることのできないたくさんのシェフ、関係者たちと出会い、世界の国々の食材、調理法、その土地や料理の歴史、背景を知りました。そして今後の自分の料理に大きな影響のある学びを与えてくれました。この経験を生かし、さらに鶴岡の食を盛り上げるような活動をしていきたいと思います。
【渡部 賢(わたなべ・けん)さん】
1977年鶴岡市生まれ。高校卒業後に上京し服部栄養専門学校に入学。京懐石店などで修業後に帰郷。老舗旅館やホテルでさらに研さんを重ね2014年11月自宅敷地内(市内野田目)に「日本料理わたなべ」を開店。
農業への思いが深く、毎日の家族の食事にも手間を惜しまず、行事食も大切にしていた母の姿と家庭料理が日本料理の料理人を目指すきっかけ。
19年度第1回鶴岡No.1次世代料理人決定戦ファイナリスト、21年度第2回決定戦グランプリ受賞。
2023年7月15日号 東北芸術工科大学 非常勤講師 山口 博之さん
第263回 三井家の書画と工芸展によせて
致道博物館で、鶴岡の商家・三井弥惣右衛門家に伝えられた書画と工芸品の展示会が開かれている。三井家の歴代当主は美術に造詣が深く、江戸から明治を中心に書画や工芸品を収集し優れた資料群を形成した。いくつかはこれまでも展示されたことがある。
今回は、三井家資料のうち、私の関心である陶磁器(焼き物)に絞っていくつか述べてみたい。三井家の陶磁器からどんなことがわかるのだろうか。
まず、江戸時代に鶴岡で使われた焼き物はどこで焼かれたものが多いかがわかる。三井家の陶磁器は、肥前磁器(有田焼あるいは伊万里焼など肥前国で焼かれた焼き物)が中心となる。三井家資料の肥前磁器には一尺近い大皿、七寸程度の中皿、三〜四寸程度の小皿などがあり、箱に収められて収納されていた。人々が集まる儀式や祭礼などで、漆器やほかの調度品とともに使われた器であろう。こうした陶磁器セットは、時代を経てバラバラになることが多いのだが、三井家では、箱入りの状態で蔵の棚に並べられ、整然と保管されていた。
肥前磁器は江戸時代前半から生産が盛んとなり、特に日本海側ではよく流通した。肥前磁器の輸出港が日本海に面する伊万里であるから伊万里焼の名があるという。名前は確かになじみ深く、鶴岡も日本海に面している。日本海舟運の賜物である。
では、いつごろから肥前磁器は鶴岡に盛んに移入されるようになるのだろうか。注目するのは「青磁瑠璃釉葉文葉形皿」(写真1)である。植物の葉の形をした小皿で、青磁釉と藍釉が掛け分けられ美しい。大ぶりな皿には左側に、小ぶりな皿には右側に藍釉がアクセントとなり、現代的造形に通じるフォルムがある。しかし生産は江戸時代前期(一六五〇〜六〇年代)と古い。
この五十年前ころに肥前の陶器が、同じく二十年前ころに磁器が庄内地方にはもたらされているが、この青磁瑠璃釉葉文葉形皿が焼かれたあたりから移入量は増加。市中に行きわたり、生活の陶磁器の中心が肥前磁器になったものと考えられる。陶磁器がこの地域に広がる様相を示している。ただ、明治時代に作られた箱に古い肥前磁器が入ることもあり、再構成と再流通が後代にもあったことには注意しておきたい。
ついで「染付草花文小角瓶」(写真2)である。呉須で花の絵が描かれた小角瓶で「江戸芝神明前 元祖家伝 花ノ露(後略)」とある。花の露は芝・増上寺近くに店を構えた有名な化粧品屋の化粧水で、花の成分を含むという人気商品であった。三井家の女性が使ったものであろう。
さて三井家の女性といえば、文化十四年(一八一七年)に鶴岡を出立し、江戸から伊勢、さらに京都を巡る百八日の旅に出た女性・三井清野(きよの)がいる。江戸時代の女性の旅として有名である。彼女は盛ん江戸ファッションを気にし、増上寺へも参詣している。彼女が求めたものだとすれば面白い。また、京都では清水焼を買っている。つまり三井家の陶磁器には女性の趣味が含まれているのである。なお、彼女の姪・亀代は清河八郎の母親である。
コロナ禍の時代を迎え、将来への不安が増大した。加えて断捨離がブームとなり、長らく伝えられてきた貴重な資料が価値を失い、損なわれていくことを目にする。こうした中で三井家が伝えてきた資料が致道博物館に寄贈されたことは、鶴岡に培われてきた文化が永く保全される機会を得たということであり、たいへん意味のあることであると考える。関係者のご決断に敬意を表したい。
【山口 博之(やまぐち・ひろゆき)さん】
1956年天童市生まれ。2017年山形県立博物館退職。2017~18年中国社会科学院考古研究所客座研究員として北京市滞在。2018年から東北学院大学東北文化研究所客員。現在は東北芸術工科大学・山形県立米沢女子短期大学非常勤講師。陶磁考古学を専門とし、鶴岡市内に残された陶磁器の調査を進めているど
2023年6月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん
第262回 彼の山、彼の川
丸谷才一(本名・根村才一、一九二五年~二〇一二年)は鶴岡市出身の小説家、文芸評論家、英文学者、翻訳家、随筆家。数多くの本を書き、芥川賞、谷崎潤一郎賞、川端康成賞、大仏次郎賞、菊池寛賞などの名だたる文学賞を総なめにしました。
達人・丸谷の文章に「山といへば川」という評論があります。古典への誘い、読書の喜びを軽妙に綴るユニークな読書案内です。
「山といへば川」とは「右といえば左」と同じで、人と違うことを言うという意味で、彼は世の常識に逆い、奇想に富み、新説を立てます。「闊歩(かっぽ)する漱石」で画期的漱石論を展開。丸谷才一全集(文藝春秋社)第九巻「夏目漱石と近代文学」「1 夏目漱石(徴兵忌避者としての夏目漱石/ ほか)」には、「徴兵」「モダニズム」などの視点から漱石像を一変させた刺激的論考が所収されています。
文部省唱歌「故郷(ふるさと)」の冒頭に「兎追ひし 彼の山 小鮒釣りし 彼の川〜」があります。庄内には、山は出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)、鳥海山、母狩山、金峰山、高館山など、川は赤川、内川、青龍寺川などがあります。そして、この風光明媚で豊かな庄内平野を流れる赤川には山ほどの思い出があります。
川に関して英語のなぞなぞ(riddle)を一つ。
Q〝Why is the river rich?〟「川はなぜ金持ち・豊かなの?」
A〝Because it has two banks.〟「なぜなら二つの銀行があるから
※bankには「土手」と「銀行」の意味があります。
赤川はその源を山形と新潟県境の朝日山系以東岳に発し、大鳥池を経て渓谷を流れ、鶴岡市落合で梵字川と合流。庄内平野を北へ貫流し、内川、大山川などの支川が合流し、酒田市南部の庄内砂丘を切り開いた赤川放水路から日本海に注ぐ一級河川で、庄内平野を豊かにしています。
その名の由来は諸説あり、湯殿山霊場に供える浄水の意味の「閼伽(あか)」の流出した場所から付けられたといわれます。また「垢川」ともいい、水源が霊山出口の門口にあたり、登拝者が垢を落して清める所ともいわれています。
出羽三山や鳥海山を望む赤川のほとりで生まれ育ち、癒しを与えてくれた赤川には思い出が多くあります。春の土手の桜、プールがない時代に鉄橋のピアからの飛び込み水泳、小魚やカニ採り、夏の赤川花火大会、秋の芋煮会、冬の土手でスキー直下降、心身を鍛えるジョギングコース、結婚のプロポーズ場所…私の「天の川」でもあります。
英語のなぞなぞをもう一つ。
Q〝Everyone knows it is a beautiful way, but no one has ever taken the way. What is it?〟「誰でも知っているきれいな川(道)だけど、誰も泳いだ(通った)ことのない川は?」
A〝It’s a milky way.〟(天の川)
内川は古くから市民の川として親しまれ、作家・藤沢周平の小説に登場する「五間川」のモデルの川といわれています。
藤沢周平(本名・小菅留治、一九二七年〜一九九七年)は鶴岡市出身の小説家。実家は農家で、幼少期から手伝いを通して農作業に関わった経験から、後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表。江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残しています。特に、架空の藩「海坂藩」を舞台にした作品群が有名。農家に生まれ、剣道三段である私は彼の作品を愛読しています。
連作短編集「橋ものがたり」をはじめ、海坂藩に必ず登場する風物に、川とそれに架かる橋があります。城下の真ん中には「五間川」が流れ、東にも西にも大小の川があります。内川に架かる最も古い大泉橋は小説「秘太刀馬の骨」では、「千鳥橋」と洒落た名前で登場します。主人公が渡っているのは内川のあの橋だろうか、などと想像するのも楽しみの一つです。
内川にはさまざまな橋が架けられ、その中の一つ、朱塗りの「三雪橋」は、金峯山・鳥海山・月山の三山を美しく見ることができたことから命名され、この場所は小京都を思わせる絶景です。昔は屋台があり、桜の季節に夜桜を楽しみながら酒盛りをした思い出があります。八月の旧盆には、幽玄な夏の風物詩、灯籠流しも行われます。
「人生とは思い出作り」と思うこの頃。楽しい、辛い、悲しい思い出、記憶に残る思い出が脳裏によみがえります。
2023年5月15日号 致道博物館主任学芸員 菅原 義勝さん
第261回 歴史を楽しむこと
初めて大河ドラマを見たのは小学四年生の時、竹中直人主演の「秀吉」(一九九六年)でした。毎週日曜日、風呂上がりに祖父と兄と茶の間で見ていました。蜂須賀小六正勝を配下に組み入れ、墨俣の一夜城を建てるまでの一連の流れは、今でも印象に残っています。
翌年の「毛利元就」、その後しばらくあいて高校一〜三年生の間に「利家とまつ」(二〇〇二年)。「武蔵」「新撰組」も見ました。
大学に入って歴史の研究会に入会すると、とある先輩から「歴史の研究と小説やドラマは違うからあまり見る(読む)もんじゃない」と言われました。真に受けた単純な私は、それから大河ドラマは見ず、時代小説も読まなくなりました。歴史研究をするには、文学や娯楽を切り離さなければならない、と思い込んでいたようです。
歴史研究は実証的であるべきです。史料批判を行い、史料に基づいた論理的な説明を試みるべきです。ただし、一から十まで説明できるほど充実した史料が揃うことは、ほぼありません。そのため、周辺の歴史的状況や後世に記された記録なども参考にして論を組み立てます。研究者は「これが正解だ」と思って論文を発表しますが、必ず違う視点から批判されます。これを何世代にもわたって繰り返し、修正を重ねることで、より正確な歴史に近づいていくのです。
とはいえ、研究で知り得ることは歴史のほんの一部です。難しいことは言わず、想像を膨らませ、歴史を楽しむことも、とても有益なことかと思います。小説やマンガを読む、史跡などを訪ねて思いを巡らす、映画やドラマを見る、ゲームをプレイする、はたまた研究書から最先端の研究に触れて楽しむ方もいます。どのような形であれ、歴史をきっかけに地域や文化に興味や関心を持ってもらうことが大切だと思っています。
さて、今年の大河ドラマは「どうする家康」。放送が始まって五カ月、いろいろな感想が聞こえてきます。「軽すぎる」という声もありますが、私個人としては楽しく見てますし、普段は歴史に興味のない妻も毎週欠かさず見ています。詰まるところ好みの問題なのでしょう。
今回の大河ドラマ、実は所々に最新の研究成果が盛り込まれています。例えば、幼少の頃から今川家のもとへ人質に入った家康(竹千代)について、今までのドラマであれば、惨めで不遇な時代を過ごしたかのように描写されてきました。
ところが、研究の進展により近年では、岡崎松平家の当主として今川義元から庇護を受け、今川一門の関口氏純の娘(築山殿、ドラマでは瀬名)と婚姻を結んで今川家の親類衆となり、駿府に滞在しながら、岡崎領の政治運営も担っていたことが明らかとなっています。のびのびと過ごしている人質・家康の姿に違和感を持った方もいたかもしれませんが、実は研究成果を存分に取り込んだからこその表現だったのでしょう。
ただ、ドラマなので、面白く脚色する必要があります。好き嫌いがあるかもしれませんが、それは当然なこと。これから三方ヶ原の戦いや長篠の戦いなど重要な局面に突入しますので、あまり難しく考えずに楽しみたいと思っています。
現在、致道博物館では「徳川家康と酒井忠次」展を開催し、やる気満々で便乗しています。このような機会を捉えることで、より多くの方々から歴史に親しみを持っていただけるものと思います。
そして当然、上辺だけの便乗ではありません。今回の展示、かなり見応えがあります。松平一族、家康の成長、家康を支え続けた忠次の活躍などを諸史料から辿ることができます。織田信長や徳川家康から拝領した国宝の太刀二振のほか、家康や忠次が過ごした岡崎市や安城市に所在するお寺からも、貴重な古文書、美術工芸品をたくさんお借りしました。全国で開催されている家康関連の展覧会に負けない充実した展示となっております。ぜひ一度ならずとも足をお運びいただければ幸いです。
また、六月三日には、鶴岡市主催で「どうする家康」の時代考証を担当している先生お二人による歴史講演会が開催されます。何か裏話が聞けるかも? と今から楽しみにしています。
2023年3月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん
第260回 「デジタル田園都市構想」具現化を
NHK鶴岡支局跡地にマンション建設の報道がありました。NHK鶴岡放送局は「鶴ヶ岡城高畑口木戸跡」という史跡に開局し、地域放送や文化センター、鶴岡放送児童合唱団などの文化活動の拠点でした。この場所に地域活性化、観光振興、デジタル社会の担い手育成を目指す「時代を記録した映像等の保存活用開発機能」(多言語双方向型)を持つデジタルアーカイブスセンター(郷土歴史文化資料館兼デジタル研修・開発施設)を建設し、「デジタル田園都市」拠点の具現化を提案します。
以前の投稿「漱石になりたかった『石川栄耀(いしかわ・ひであき)』」で私は、山形県天童市出身の都市計画家・石川栄耀(1893〜1955年、明治26年〜昭和30年)について、戦前・戦後に「生活圏」の考え方を提唱したこと、名古屋市区画整理、 東京都都市改造計画、戦後の戦災復興計画に関わったことを紹介しました。そして石川の上司であり、影響を与えた人物が、鶴岡市出身の都市計画家で鶴岡市第3代市長も務めた黒谷了太郎(くろたに・りょうたろう、1874〜19545年、明治7年〜昭和20年)であったと述べました。
黒谷はイギリスの都市計画家レイモンド・アンウィンと交流があり、彼なりに「田園都市」構想を翻案して「山林都市」を発表。生まれ育った鶴岡のイメージ(山に囲まれた都市)を元に、「平地(田園)は値段が高いから、田園ではなく、安い山林を使ってニュータウンをつくるべし」という理由で山林都市が考案されたようです。既成の都市全体を議論するコンセプトとしては使えませんが、山林を都市の外延ではなく、新たな都市空間と考えた彼のコンセプトは活かせると思います。都市計画の祖として彼らを研究することで、鶴岡のアイデンティティーと未来を探ることにつながるのではないでしょうか。
鶴岡市の市域面積は東北一広い1312平方㌔㍍で、森林面積が約73%です。中山間地域に点在する集落も多く、高齢化と人口減少により公共交通の需要が減少する中、運転免許を持たない交通弱者の生活基盤を維持していくためには、デジタル技術を活用して時間と場所の制約を軽減する施策が不可欠。スマート農林業の推進、行政手続きの申請や在宅医療・介護サービスなどでのデジタル化が必要です。
鶴岡市には山(出羽三山)、里(サムライシルク)、海(北前船寄港地)の魅力あふれる、日本最多の3つの日本遺産があります。山岳修験の聖地出羽三山の「生きるための精進料理」や家庭の「行事食・伝統食」が多く継承され、種を守り継いできた「在来作物」が60種類以上あり、日本の学校給食発祥の地であるなど、食・農の文化が評価されて『ユネスコ創造都市ネットワーク・食文化分野』への国内第1号加盟都市ともなっています。
市民が伝統と豊かな自然の中で、健やかに安心して生きがいを持てる地域 「ウェルビーイング・コミュニティー」の構築、そして高い生産性と自立・循環的な経済を有し、新しい価値を創造する人材が集う「ローカルハブ」都市の建設と発信が急務です。国の「デジタル田園都市国家構想」が目指すのは、地域の豊かさをそのままに、都市と同様あるいは違った利便性を備えた魅力あふれる新たな地域づくりです。
鶴岡市でも、「鶴岡市SDGs未来都市デジタル化戦略有識者会議(令和3年3月から現在5回開催)が構想を練っています。高等教育研究機関とバイオベンチャーが集積する鶴岡サイエンスパークと、冒頭に述べたデジタル拠点とを結んでまさに理想の「デジタル田園都市づくり」が可能です。行政、高等教育研究機関、ベンチャー企業、地場企業が連携し、その相乗効果が発揮されることを期待します。
都市計画の祖である石川と黒谷のほか、明治神宮外苑の造営工事で3人の山形県人、白鷹町出身の耐震建築構造学者・佐野利器(さの・としかた、1880〜1956年)、米沢市出身の建築家・伊東忠太(いとう・ちゅうた、1867〜1954年)、新庄市出身の造園家・折下吉延(おりしも・よしのぶ、1881〜1966年)が重要な役割を担ったことを追記しておきます。
【伊藤 美喜雄(いとう・みきお)さん】
1948年鶴岡市生まれ。元・山形県公立高校校長。2020年に瑞宝小綬章を受章。「現代に生きる夏目漱石」「生きる糧の宝庫」(はるかぜ書房)、「『文の達人・知の巨人』の里―庄内文学探訪―」(アメージング出版)などの著書あり。趣味はクラシック音楽鑑賞など