私が暮らす街 2020
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掲載インデックス
第243回 旅するように暮らそう 2020年11月15日号
鶴岡市藤島 中野 律さん
第242回 地理院地図の活用 2020年10月15日号
鶴岡市上畑町 南波 純さん
第241回 新たな〝庄内松ヶ岡産 日本ワイン〟の誕生 2020年9月15日号
エルサンワイナリー松ヶ岡代表・㈱エル・サン会長 早坂 剛さん
第240回 地名が伝える防災 2020年8月15日号
鶴岡市上畑町 南波 純さん
第239回 雪と共にある大網の絆 2020年7月15日号
朝日東部地区自治振興会ローカルデザイナー 渡部 恵美さん
第238回 櫛引フルーツのストーリー 2020年4月15日号
櫛引地域産業振興プロジェクト推進協議会 馬場 合さん
第237回 身も心も軽やかに 2020年2月15日号
ルナリズム 心とカラダに宿る月のリズム代表 諏訪部 夕子さん
第236回 とわずがたり其の十三「一人も捨てず」 2020年1月15日号
佐藤 宗雲さん(鶴岡市宝田二丁目)
私が暮らす街バックナンバー
・2022年 私が暮らす街
・2021年 私が暮らす街
・2020年 私が暮らす街
・2019年 私が暮らす街
2020年11月15日号 鶴岡市藤島 中野 律さん
第243回 『旅するように暮らそう』
人が旅行する目的は、日常の疲れをとるため、会いたい日に人に会うため、悩んだ時に何かを得るため、ちょっと立ち止まって何も考えずにいたい…など人それぞれ十人十色。
好奇心の赴くまま、普段は手を出さないことにチャレンジしたり、興味のあることに没頭したり、おいしいものを食べたりして、非日常を楽しみながら、また頑張ろうと日常に帰る。私たちは、日常の時間を豊かにするために旅に出るのではないだろうか。
突然のコロナ禍。県外に出かけるのも…、たくさんの人から鶴岡に来てもらいたいけれど…なんだか不安。
会いたい人がいるけれど、会えない。遠出してみたけれど、思いっきり楽しめない。もしも自分が新型コロナウイルスに感染したら?
不安とモヤモヤの気持ちを抱えながら、地元で過ごす時間が長くなった。先が見えないコロナとの闘いが、だんだん苦痛になってきた。
思うように動けないのだったら、毎日の生活、日常の鶴岡での暮らしにちょっとだけ非日常が味わえる時間を作って「地元旅」をしてみよう。
いつも通勤で通る商店街。まずは車を降りて歩いてみる。新しいお店ができている!
気にすることのなかった小路を散策。こんなところに、こんなお店があったんだ! 気になるお店に思い切って入ってみる!
ここでしか食べることができない料理を久しぶりに食べてみる。やっぱりおいしい。お店の人との会話も楽しい。
地元にいると、なかなか足を運ぶことの少ない温泉街も散策してみる。地元の工芸品に触れる。しな織りの製品を自分へのご褒美で買ってみる。「きれいだな〜」と季節の花の写真や夕焼けに染まる景色を撮ってみる。
そして家族にお土産を買って帰る。「楽しい一日だった! よし、明日からまた頑張ろう!」。地元で十分旅行の気分が味わえるじゃないか。
これから雪に閉ざされたら、ゆっくり温泉で過ごすも良き。ソーシャルディスタンスを取りながら、地元にいながらなかなか会えずにいた友人と鶴岡の旬の食材や地酒を楽しむも良き。絵ろうそくや御殿まりの体験などでじっくり向き合い、自分だけのオンリーワンを作っても良き。
私の暮らす藤島にある歴史公園「Hisu花」では、今年も15万個のLEDが輝くイルミネーションが始まったので行ってみたい。公園を活用した楽しみ方を考える「藤島歴史公園『Hisu花』ワークショップ」で生まれたこのイルミネーション。コロナで心配したが、11月から来年1月11日までの約2カ月間、冬の私の日常を豊かにしてくれる。今年は医療従事者への感謝の気持ちを表すブルーの輝きが特別に感じる。
冬の旅のプランが次々思いつく。今までは家にこもるだけだった冬の季節がなんだかワクワクしてきた。
私たちが日常の暮らしの中で地元旅を楽しむことは、コロナ禍で大打撃を受けている鶴岡の応援につながる。そして、魅力的なもの、守りたいもの、不便と感じることなど、今まで見えなかった鶴岡が見えてくる。
今は会えない親族や友人が、また気軽に鶴岡に来ることができるようになったら、鶴岡で新たに見つけた場所・モノ・コトを案内したい。不便と感じたところは改善を考えて、最高のもてなしをして喜んでもらいたい。いずれ老いて行動範囲がどんどん狭まった時に、地元で豊かに暮らすことのできる日常であってほしい。
今、鶴岡の残したい風景、場所、食、文化を支え、応援することは、鶴岡を将来につなぐ行動なのではないだろうか? 私たちが自分の暮らすまちを楽しむことは、今の、そして未来の自分の日常を豊かにすることにつながっていくのではないだろうか。
旅するように暮らす時間は、長い人生の日常を守り、明るく楽しいものにする一歩なのかも。
2020年10月15日号 鶴岡市上畑町 南波 純さん
第242回 『地理院地図の活用』
自分の住む町や職場が過去にどんな土地利用がされてきたのか、インターネットを使って昔の地形図や空中写真を閲覧したり、地図を重ね合わせて比較する方法がある。
その代表的なものが、国土地理院がウェブ上で提供しているICT(情報通信技術)を活用したGIS(地理情報システム)。自宅にいながら自分の住んでいる地域の過去の土地の情報を知ることができ、防災の観点からも極めて有効な資料となるので紹介したい。
使い方はスマホやパソコンで「地理院地図」と検索。地図画面をズームしたり、カーソルや検索を使って鶴岡付近を指定する。画面左下には、カーソル(+)がある地点の標高が表示されている。左上の「地図」をタップし「写真」↓「年代」を指定すれば、画面上に空中写真が現れる。また右上の「ツール」を使うと、任意の地点間の「断面図」が見られ、過去と現在の地図の「重ねて比較」なども瞬時に示してくれる。
市内の新旧の地図や空中写真を比べてみると、現在と過去の市街地の相違に気づく。過去の大規模な震災では、各地で「液状化」による地盤の沈下や家屋の被害が報告されている。地理院地図を活用すると、こうした液状化しやすい水田や湿地を埋め立てて造成した住宅地、かつての河道や池なども読み取ることができ、防災や減災に役立てることができる。
また、地震や洪水が発生した際に想定される被害範囲や避難場所を記した「ハザードマップ」も自治体から各世帯に配布されているが、ネット上で全て公開されている。海岸部での津波想定地域、山間部での地すべりや土砂災害想定地域も確認しておきたい。
阪神淡路大震災や東日本大震災以降、想定外の事態に遭遇した時、住民が主体的に判断し行動することが求められるようになった。しかし依然「上意下達」「指示待ち」といったコミュニケーション不足が学校、企業、地域社会の大きな課題の一つとなっている。
そこで注目されているのが「リスクコミュニケーション」である。リスクコミュニケーションとは、何らかのリスク(例えば災害や事故)に対して「個人・機関・集団間での情報や意見の交換過程」あるいは「リスク問題に関して関心を表明すること」あるいは「疑問を伝えること」も含まれる。
下の写真は1960年代に撮影された鶴岡市街地の空中写真である。この写真を見て各家庭や学校、職場で身近な人同士、「防災」という観点で気づいたことを話し合ってみてほしい。人によってさまざまな感想、コメントが出てくることが予想されるが、これが身近にできる「リスクコミュニケーション」の一つである。他者との対話で発生する「気づき」が個人の主体的な行動への源泉となる。
フェイスブックやラインなどのSNSの活用事例も被災地で数多く報告されている。鶴岡市でも学区単位などでSNSの活用が始まっているが、町内会の役員の多くは高齢者であるため、SNSを利用するのはなかなかハードルが高いらしい。
しかし逆に、地域の活動にSNSを活用することで若い世代の地域活動への参加を促すことも期待できるのではないか。大切なのは地域住民の防災に対する関心や意識を高め、地域活動への参加者を増やしていくことにある。
GISやSNSなど多様なICTの活用が、世代間の「コミュニケーション」を促進し、地域の防災上の課題を解決、改善する突破口となることを期待したい。
2020年9月15日号 エルサンワイナリー松ヶ岡代表・㈱エル・サン会長 早坂 剛さん
第241回 『新たな〝庄内松ヶ岡産 日本ワイン〟の誕生』
9月4日、エルサンワイナリー松ヶ岡の醸造所「PINO COLLINA(ピノ・コッリーナ)ファームガーデン&ワイナリー松ヶ岡」の完成を祝い、記念式典を開催することにしておりました。ところが、朝方から降り始めた雨は止まず、外で企画していたレセプションの予定を、完成したワイナリーの中で急遽やることになりました。
コロナ禍の中で、日程調整や多くの準備事項が決定され、会場設営はじめ準備も前日までにできていたのを全てやり直しです。
式典は1階の醸造場で、レセプションは2階ホールでと、決まればスタッフの動きは速い。オープン1時間前には準備が整いました。
お客様をお迎えするまで少しの間、思いをめぐらせていたら、6年前からのことが思い出されました。
イタリアのピエモンテ州のランゲ丘は、世界遺産になっており、スイス国境のアルプスの山並みをバックに、一面に広がるブドウ畑の風景と、月山を背景に広がる松ヶ岡の環境が似ており、ブドウを一面に植えたいと思いつきました。地元の方々に夢みたいなこの構想を聞いていただき、快く了解を得ることができたのです。多分、地元の方々は農業は大変で、素人の会長などすぐ飽きてしまうだろうと、軽く考えていたようでした。
4年前の3月下旬にブドウの苗不足の中で、キャンセルになったピノノワール、シャルドネ1500本を分けてもらえたのが幸運の始まりで、7月下旬にいよいよブドウの植え込みが始まったのです。現在、苗は約6100本、畑は4㌶まで拡大しております。
昨年から取り組んでいる醸造所の建設のために、設計は東北芸術工科大学の竹内昌義先生に、施工は鶴岡建設様にお願いし、昨年の10月1日に地鎮祭を行い、工事はコロナの影響を受けずに順調に進み、今日の竣工式を迎えることになりました。今日の日を迎えることができたことに感謝しながら、将来への期待と不安が入り交じった、今の心境がふつふつと湧いてきたのです。
本番はここからなのです。もう2年間で4000本植え、1万本となり6㌶、第1期目標の達成の予定です。振り返っている間にお客様のにぎやかな声が聞こえ、緊張感が戻りました。式典が始まり、来賓の方々から温かい激励の言葉をいただき、あらためて今後の決意を固めることができました。松ヶ岡は150年前、明治維新に庄内藩士3000人が鉄砲・刀を鍬に替え、100町歩を2カ月かからずに開墾し、そして桑を植えシルク産業を興しました。そのフロンティア精神を大切にしたい。
ワイナリーも、美しくも厳しい庄内の大自然と、松ヶ岡に生きる人々の叡智と開拓精神に育まれたテロワールを生かし、松ヶ岡の自社畑で取れたブドウを新しい醸造設備で、味わい深く豊かで高品質な〝庄内松ヶ岡産 日本ワイン〟を目指しています。
そのためピノ・コッリーナでは、山形県では初のグラビティ・フローというシステムを導入しました。重力を利用した自然に逆らわない醸造方法です。ポンプによる移動に比べて衝撃が少なく、極めて優しくブドウを取り扱えるため、ブドウの繊細な個性を損なわずに、エレガントで特色あるワイン造りを行うことができます。松ヶ岡の美しい風景を見ながら、松ヶ岡初の日本産ワインと鶴岡のおいしい食を味わいゆっくりと過ごしていただく。松ヶ岡がそのような場所として、新しい鶴岡の食文化発信のお役に立てれば、これほどうれしいことはありません。
さらには〝シルク&ワイン〟という新たな松ヶ岡ブランドを確立し、内外に届けられるように努力してまいります。
※ピノ・コッリーナは10月8日にプレオープンし、8〜11日はオープニングイベントを予定しております。ワイナリーに関する問い合わせは、グランドエル・サンTEL.0235‐24‐4633へ。
2020年8月15日号 鶴岡市上畑町 南波 純さん
第240回 『地名が伝える防災』
災害害は土地の性質に関係している。土地の性質を知ることが防災や減災につながる。7月28日に県内を襲った集中豪雨では鶴岡市内においても冠水した地域があり、鶴岡の水害リスクについてあらためて関心を持たれた方も少なくないであろう。
土地の性質を知る方法の一つに「地名」がある。地名は多くの場合、古い時代から伝承されてきたものであり、私たちの祖先は過去にその場所で起きた災害やその土地が持つ特性について、地名としてメッセージを残してくれている例が多い。
例えば、昨年水害に見舞われたのは長野県の「千曲川」、今年は熊本県の「球磨川」。いずれも「クマ」という字が入っているがこれは偶然ではない。「クマ」という語が地名に入るのはいわゆる「水害地名」、昔から水害常習地であることを意味する。
では「鶴岡」はどうか。鶴岡の地名の由来については「酒田の亀ヶ崎城に対して鶴ケ岡城とした」など諸説あるようだが、一般に知られている地名の由来には実は根拠がないものも少なくない。全国には鶴岡のように「ツル」のつく地名が各地に存在する。
「ツル」や「カメ」はめでたいイメージがあるので縁起がいい地名と思いがちだが、いずれも災害地名であり、「ツル」は「水流」を意味する。河川沿いでは洪水を、山間部では地すべりや土石流が発生していた場所が多い。
鶴岡は「赤川」が形成した扇状地にあり河川の土砂が堆積してできた沖積地である。市内の地名には「信州川原」「図書川原」「外内島」など、かつて赤川が現在の市街地を流れていたことがわかる地名も多数みられる。荘内病院側から山大農学部方面に向かうと山大側が微高地であることに気づく。これはかつて赤川がこの辺りを流れていた証しである。
それでは、赤川の「アカ」にはどんな意味があるのか。「アカ」が意味するものとしては①水気の多い湿地②垢がたまるように土砂などが堆積した場所—である。
過去の鶴岡の水害は、その赤川の増水による堤防の決壊もしくは越水、さらに赤川の氾濫によって内川に逆流することで水があふれて市街地が浸水したケースがほとんどである。
現在の鶴岡市街地に人が多く居住するようになったのはあまり古いことではない。戦国時代まで鶴岡という都市の形成を阻んできたのは赤川の氾濫であり、鶴岡のまちづくりには赤川の治水工事が必要不可欠であった。この難事業に取り組んだのは17世紀初頭の最上義光であるが、江戸時代に大洪水として記録されているものだけで実に13を数える。明治時代になっても4度の大洪水に見舞われている。
1921年(大正10年)8月の大洪水では斎藤川原の堤防が決壊。さらに熊出、伊勢横内の堤防も破れ、市内の9割が浸水したという記録が残っている。1926年(同15年)8月には、8日に赤川で、18日に内川で洪水に見舞われ、市内で1140戸もの浸水被害が記録されている。
一方、根本的な治水対策として1927年(昭和2年)には、赤川の河口を最上川から切り離し、海に直結させる赤川新川の工事に着手。1953年(同28年)に完全に分離した。また、内川の氾濫を防ぐため、道形地内に新川を掘って文下方面に流路を変更する工事も1930年(同5年)に開始。この工事は1934年(同9年)に完成している。赤川新川と内川新川により、豪雨になっても堤防を越えることはなくなり、氾濫による浸水も減少した。
朝日地域の「熊出」地区は赤川の源流である梵字川と大鳥川の合流点にあり、大雨が降ると堤防が決壊した地域であったが、月山ダムの完成や国の治水工事によって水害に襲われることがなくなった地域の一つである。
7月28日の豪雨が大規模洪水にならず、一部の被害に留まったのは、かつての度重なる水害を克服するための治水工事があったからである。
しかし近年発生している各地の水害では、想定を超える雨量や改修された堤防の決壊の事例も報告されている。私たち鶴岡市民は今一度、鶴岡という町が水害と共生し克服してきた都市であることを認識し直し、日頃から防災対策を心掛けたいものである。
【南波 純さん プロフィール】
1960年鶴岡市生まれ。駒澤大学文学部地理学科、筑波大学大学院修了。84年から田川管内の中学校教諭を務め、2020年4月より、趣味の語学(英語・中国語など)を生かしDEGAM鶴岡ツーリズムビューローに勤務。専門は地理学、防災教育、ICT活用など。共著に「47都道府県商店街百科」(丸善出版)。
2020年7月15日号 朝日東部地区自治振興会ローカルデザイナー 渡部 恵美さん
第239回 『雪と共にある大網の絆』
仕事を終えてから湯殿山スキー場へ。ナイタースキーがデートコースだった26年前、雪上では、男っぷりを3倍以上にも上げてくれていました(笑)。旧朝日村地域はスキーやスノーボードを楽しむには、とっても良い所ですよね。
積雪は3㍍を超え、子供のころ、実家で玄関から雪の階段を作って出入りしていたことを思い出させてくれました(ちなみに私の出身は旧櫛引町下山添です)。
今年は屋根の雪下ろしを一度もしなくてよかったほど少雪でしたが、毎年数回は必要です。雪が降り続く夜には、帰宅困難な日もあります。早朝の除雪作業が始まるまで自宅に帰り着くことができないのです。うまく家にたどり着いても、車のドアをやっとの思いで開け、雪の中を泳ぐように車庫へと向かうこともしばしば。…もう笑うしかありません。
克雪とよくいわれますが、仕事場が旧市内にある人がほとんどで、多様な生活形態がある中、夜中に帰宅する人にとっては改善しなければならないことだと感じます。
それでも、雪を見ていると、その真っ白さに「きれい!」と思わず言葉が出る日もあります。
除排雪、屋根の雪下ろし作業は体力が要ります。自分の老後の不安といったらそれでしょうか。今はトレーニングと思い、雪と向き合っています。
夏に結婚した私の地区デビューは夏季大運動会でした。地域行事にはできるだけ顔を出すようにしたこと(というより、進んで参加していたかも)で、地域の方々には、知らない人がほぼいない!? といえるほどです。ここに来て感じたのは、住民がとても仲が良いこと。子育てするには安心です。地域の皆さんが見守ってくれています。
ここで暮らしていくための生活基盤の維持・強化を図っていくため、「小さな拠点」づくりが大切になっています。私は平成30年に地区自治振興会の職員、小さな拠点づくりに携わるローカルデザイナーとなりました。
今、地域の住民主体で力を入れているのは「月山筍」にまつわる取り組み。朝日地域は山の中ですから山菜が豊富で、採れたてを食べられます。そして月山筍は、祖先が頑張って根付かせた地元の宝物(資源)です。ただ、担い手不足で荒廃している(ヤブになっている)場所が多くあり、手入れをするにも結構大変です。
そこで地域の生業として生まれたのが「月山筍収穫体験」。月山筍を採って、楽しんでもらって、圃場整備につながれば、そして収入にもなればと思い、始めた野外体験活動です。
地域内外の参加者と食事を共にし、感想を聞いたりした中で、「手入れ作業をしないと翌年に良い月山筍は出ない」と、地元の本音を聞いた体験者の中からは、「その手入れ作業もしてみたい!」と声が上がりました。「じゃあ、やってみよう!」とすぐに動く。手入れ作業を行った人は、その後の圃場が気になり、翌年も収穫体験に来てくれるという良いスパイラルが生まれています。
残念ながら今年は、新型コロナウイルス感染症拡大防止ということで中止になりましたが、来年にまた「月山筍収穫&山菜料理体験ツアー」ができることを願っています。
その代わりに今年は「ふるさと納税返礼品」として月山筍を120名の方にお届け。トータルで240㌔超の量を収穫して用意するのはかなりの作業でしたが「大網しょだ」の力を感じました。これをきっかけに、体験と返礼品の二本立てで地域を盛り上げることができそうです。
大網地区には保育園、小学校がなくなり、子供たちも昔のように地域で一つにまとまった動きが難しくなってきています。多様化、多様性の今だからこそ、地域の暮らしや伝承・伝統文化を残していくアイディアが必要となってきているのかもしれません。
美味しい空気と食べ物、素敵な近所付き合い。地域に住むどの世代の人も「ここが好き!」と自信と誇りを持って住み続けていけたらいいな。そのためにも、今できることからまず一歩! 足を踏み出したいと思います。
【渡部 恵美さん プロフィール】
1968年櫛引生まれ。鶴岡工業高等学校情報技術科卒。都内でSEやプログラマーとして勤務し、Uターン後もプログラマーの仕事を続けるが、スナックでも働く。1995年に大網に嫁ぐ。父親が病気で倒れたことをきっかけに、実家の食堂を手伝い、調理師免許を取得。2018年にローカルデザイナー就任。
2020年4月15日号 櫛引地域産業振興プロジェクト推進協議会 馬場 合さん
第238回 『櫛引フルーツのストーリー』
皆さんは櫛引地域で栽培されているぶどうの品種が何種類あるかご存じですか?
答えは約70種類。小さな地域にもかかわらず、ぶどうだけでこれだけの品種が育てられており、他の果物もそれぞれ数十種類あります。
今、私は鶴岡市役所の櫛引庁舎内で、フルーツの里ブランド推進員として働いています。縁あってこの仕事に就くことになったのが2年前。これまでいろんな人と出会い、さまざまな活動をしていますが、農業はもちろん、櫛引とここまでつながりができるとは思いもよりませんでした。
私は以前、オーストラリアに半年ほど住んでいたのですが、その時においしいぶどうに出合い、帰国してからも探し求めていました。それは皮ごと食べるタイプのもの。当時はぶどうといったら巨峰が中心で、シャインマスカットのような皮ごと食べるタイプの品種は珍しく、どう手に入れたらいいかわかりませんでした。
そのころ、櫛引でぶどう狩りができると聞きつけ早速行ってみたら、私の大好きなタイプのぶどうもあり、すごくうれしかったのを覚えています。これが私の櫛引フルーツとの出合い。それ以降、毎年欠かさずぶどう狩りに行っています。そのせいか大好きなフルーツにかかわるお仕事に導かれたような気がします。
働き始めてから知ったのですが、櫛引はコンパクトなエリアの中でさまざまな品目、品種が栽培されています。生産量の多いものもありますが、少量しかないレアな品種も数多くあります。また、春にはさくらんぼ、晩秋には庄内柿と、一年を通して果物を楽しむことができます。
これこそが櫛引の魅力です。どうしたらこの魅力を知ってもらえるだろうか、私ができることは何だろうかと常々考えていました。
そして昨年の春、『くしびきフルーツ日記』のプロジェクトを始めました。私はただ果物が好きなだけで、身近に果樹がある生活をしたことがありません。果物がどんなふうに育ち、その過程で農家さんがどんな作業をして栽培しているのかほとんど知りませんでした。じゃあ、その過程をストーリーにのせて発信し、いろんな人に知ってもらおう! とSNSで公開し始めたのです。
農家さんの畑に伺って取材し、写真と手書き文字で絵日記風にまとめます。ちなみに私は絵が下手なので、イラストは同じ職場の絵が上手な人に描いてもらいました。
取材では、果樹栽培の経験はおろか、野菜も育てたことがない人間が、あれこれと質問をするわけですが、農家の皆さんはとても丁寧に優しく教えてくださいます。お忙しい中、対応していただいて本当に感謝しかありません。
農家さんのお話を聞いて、へーって思うことも結構あります。彼らからすれば当たり前のことでも、私にはとても新鮮に映ります。それをなるべくわかりやすく伝えようと心がけています。
昨年、ぶどうの花を初めて見ました。控えめな白い花。言われなければこれが花だとは思わなかったと思います。自分でもいろいろ下調べをした上で、質問したりしますが、やっぱり実際に見聞きするのが一番だと実感しました。もうすぐ始めて1年になりますが、まだまだわからないことも多く、もっと深く学びたいと思っています。
そして、これまでSNSに掲載した情報を『くしびきフルーツ日記』として冊子にまとめました。櫛引地域を中心にあちこちに置いてあるので、見かけたら手に取ってもらえるとうれしいです。
私はたくさんの人やご縁に恵まれていると思います。櫛引で働き始めてから、今までかかわることのなかった人と出会い、フルーツのことのみならず、櫛引の歴史や文化を学び、また一つ世界が広がっていくのを実感しています。
SNSでの発信は今年度も継続しますので、剪定作業から少しずつ取材を始めています。これからもご縁を大切に、がんばっていきたいと思います。
【馬場 合さん プロフィール】
1976年鶴岡市(温海地域)生まれ。高校卒業後、仕事をしながら国際交流などのボランティアに取り組む。2001年にはオーストラリアの中学校・高校で日本語を教えるアシスタント。その後東京で音楽業界と飲食業界を経験し帰郷。ユネスコ食文化創造都市として鶴岡市が推進するイタリア食科学大学の学生との交流がきっかけで、食文化の素晴らしさにあらためて気づき、鶴岡ふうどガイドになる。
『くしびきフルーツ日記』はFacebookとInstagramで発信中!
2020年2月15日号 ルナリズム 心とカラダに宿る月のリズム代表 諏訪部 夕子さん
第237回 『身も心も軽やかに』
私は複数の「ナリワイ」を組み合わせたユニークなワークをしています。
その①リラクゼーションサロン経営。全身の筋肉と心のほぐし屋さん。その②「食×体調」をテーマにした外出型リラクゼーションを提供する「鶴岡ふうどガイド」業。その③冷え性、生理痛などの月経トラブルの緩和を目的とした、女性のための場づくりと、セルフケアツールの発信「ルナリズム 心とカラダに宿る月のリズム」の活動。これらは私が起業した2014年からゆるゆると始めた暮らし方です。
この3つをやることになったのは、店に来店いただいたお客様たちがきっかけです。疲労が蓄積した身体と心の緊張をほぐしながら、私は「目の前にいるこの方たちが楽しめることはなんだろう」と思いを巡らせていました。すると、悩みの根源は案外類似していると気付きました。そうなってしまった社会背景も浮かび上がります。
例えば女性の月経痛。女性には月経周期という自然のリズムがあります。エストロゲン(美肌ホルモン)とプロゲステロン(お母さんホルモン)という2種類の女性ホルモンは、排卵日を境に分泌量が異なります。
女性ホルモンの分泌は曲線を描くバイオリズムなのに対し、男性ホルモンはジグザグの直線で表されます。そのため、女性が「男性主体の社会」に合わせるのは難しいものです。無理や我慢を繰り返し、疲労と感情をため込んで身体にこわばりがでてきてしまうと、月経痛としてサインを発します。そして「助けてちょうだい」という身体の悲鳴に対し、鎮痛剤などを使って何もなかったことにしてしまうのです。
本来なら、女性にとって排卵日後から月経までの2週間は、ご自身に優しさと思いやりをもって過ごしたい期間です。「薬に頼らないで緩和する方法」として伝えたいこと、やりたいことが次々と思い浮かんだのです。
私はそんな女性たちに、忙しい日常から離れ、ありのままの自分を受けとめ、心身ともに身軽になってほしいという願いから、羽黒山でのツアー「今、ここ、自分と向き合う旅」を企画しました。玉川寺で瞑想〜斎館で精進料理〜月のリズムに乗って無理なく過ごすための話とセルフケア体験〜合祭殿の参拝。こちらは昨年度の「『山形日和。』1day trip+コンテスト(やまがた美食旅日帰りプラン)」で優秀賞を受賞しました。
「観て♡食べて♡動いて♡血液さらさらリラクゼーションin加茂水族館」では、「旬の地物で、楽しく美味しく心も体も満たされる健康リラクゼーション」と題して、水族館鑑賞〜館内レストランで魚さばきと握り寿司づくりのワークショップ。直径5㍍のクラゲ大水槽前で体操をしました。血液さらさら効果は、月経痛も和らげてくれます。
どちらの企画もプロフェッショナルな協力者たちと、旅を存分に楽しもうというノリの良い参加者の皆さんのおかげで大成功。大変有意義な時を共有でき、素敵な思い出となりました。
昨年は、サロンにいらっしゃる方々の出産ラッシュでした。妊活や体質改善で訪問されていた皆さんです。出産後しばらくぶりで会ったママさんたちと一緒に悩みや困りごとを話し、自分自身の子育て中にも同じように孤独感があったな、と思い出しました。
そう! 私が次にやりたいことは「子育て中のママたちのお気楽パーティー」。赤ちゃん連れでヨモギ蒸しとカラダのもみもみケアを受けられてランチ付き。離乳食の作り方や子育ての悩みを気軽に話せる空間づくりです。ママの代わりに抱っこしてあげられる人がいれば、容易に助け合いながらできちゃいます。
未来を担う子供たちの成長に大切なことは、まずお母さんが心身ともに健康であること。自身を第一に大切にすることです。お母さんが満たされていることがとてもとても重要なのです。
女性が自分らしく本能的に活動でき、安心して出産、子育てができる、働きやすい環境づくりを心掛けながら、周りの女性の声を聴き入れていたい。これが私が実現したいことの一つです。
自分が得意とすることを楽しく生かしながら、必要としている方へどんどん企画を届け、実行していきたいと思います。まずは自分が元気にいつも笑っていられるように環境づくりを。
【諏訪部 夕子(すわべ・ゆうこ)さん プロフィール】
1974年鶴岡市出身。地元の高校を卒業後、東京都内で婦人靴の販売業をしている時に、足のケアを接客に取り入れたいと考え、リフレクソロジーの資格を取得した。2008年にUターン。リラクゼーション 業に従事し2014年に独立。同年に「ナリワイ工房@鶴岡」で複数のナリワイ作りの基本を学び、実践している。
2020年1月15日号 佐藤 宗雲さん(鶴岡市宝田二丁目)
第236回 『とわずがたり其の十三「一人も捨てず」』
元日の朝、檀信徒の皆様と一緒に修正会を奉修する。自身の来し方を省み、共にお経を誦み、新年を迎えることができる幸せに感謝し、世の安穏、人々の幸せを祈り、参会者の御先祖を御廻向し、二尊(釈迦牟尼仏と阿弥陀仏)の加護を請い、精進を誓う。終了後は書院に移り、檀信徒お持ち寄りの心尽くしの御飯、沢山の惣菜、漬物、菓子がテーブルに並ぶ。御馳走することもお布施、有り難くいただくのもお布施である。皆ニコニコ本年最初の朝餉を頂戴した。
新聞を読むと、外は戦争になりかねないほど緊迫した事態が続き、国内では重大な又は些細な問題で政権が揺さぶられかねない状況にあるように感じられる。もっとも、これらのことは今に始まったことではない。第二次大戦が終結し、世界が少しは利巧になったかと思えば、各地で紛争や戦争が続発し止むことがない。科学は発達しても人格は自身を含め、とんと成長していないのではないかと思う。情けない。新聞は昨年の日本人の出生数が八十六万四千人人だったと報道している。単純に計算すれば、鶴岡市の出生数は一千人に満たない。非正規雇用が増大し就労者全体の四割に迫ろうとしている。これではなかなか結婚できず、子供を持てないのも止むを得まい。
明治初期、学制が施行され、鶴岡市(当時は町)内には朝暘尋常小学校が建ち、子供たちが通うようになる。しかし、中には学校へ来られない子供たちが大勢いた。学費はおろか、昼食、筆記具などを持たせてやれなかったからである。これを見た常念寺の佐藤霊山住職は鶴岡地域の各住職へ声をかけ、宗派の域を越えて結束し、明治二十二年、大督寺の協力を得て同寺の境内に「西田川郡鶴岡町忠愛尋常小学校」を設立する。この時代、神仏分離令が発せられ、寺院は境内以外の寺領は全て上げ地(没取)された。それに政府の廃仏毀釈運動が重なり、寺院は経済的な困難に陥り、僧侶とその家族の生活は苦しい状況となっていた。この中にあって住職たちは自らの苦境を顧みることなく立ち上がり、子供たちのため、年中、街や村を回り托鉢に立った。子供たちは忠愛小学校で、学費、弁当、教科書、筆記具などを提供され、勉強に励むことができるようになった。明治三十年には大督寺が火災により全焼し忠愛小学校も廃止となり、子供たちは町内の各学校へ分散して通うようになったが、忠愛学校を引き継いだ忠愛協会は、変わることなく、弁当や給食費の支給を行い、この事業は昭和二十年まで続いた。この話は、鶴岡が「学校給食発祥の地」というよりは、むしろ「学校教育無償化の発祥地」と呼ぶことが相当ではないか。明治に行われたことが現代の社会でできない筈はあるまい。授業料が無料だけでは学校へ通うことはできない。制服、給食費、修学旅行費なども必要となる。政治は、人づくり、殖産興業、富の再分配といわれる。何とかするのが政治ではないか。先人に学び、未来のため、名実共に教育の無償化に努めてほしい。
自坊は磐梯朝日国立公園の西端にある。関係行政、宗派、地元寺院、地域の人々の理解、そして家族親族の苦渋の承諾と応援を受け、平成十二年秋、宗門(浄土宗総本山知恩院、大本山増上寺)の国内開教寺院として発足した。開教寺院の使命は、二尊(釈迦牟尼仏と阿弥陀仏)の大慈悲にすがり、宗祖明照大師(法然上人)の思想を伝えることである。具体的な方法は各僧侶の自由な発想に委ねられている。これまで自分勝手な人生を送ってきた自身を顧みれば、妙案など出るわけもないが、兎に角と、開始したのが『日曜勤行会(ごんぎょうえ)』である。当初は毎週開催していたが、体力の衰えを感じ、五年前から、第二・第四・第五の日曜日の朝の三十分間。誰方でも参加自由・無料。住職と共に、坐り、お経を誦み、静かに念仏する。そして、社会の安穏、自己の静謐と精神性の向上、御先祖の御廻向を申し上げるというものである。勤行後の朝食では、参会者同士の何気ない会話が更なる対話に拡がり、話が尽きない。早起きの苦手な私は、時には気が進まぬ日もあったが、参会者に押され、どうにか今日まで続けることができている。この間、『人生悠遊講座』も行っている。「先達の住職、医師、知識人による講話」「絵手紙教室」「和菓子作り」「草木染め教室」「声楽コンサート」「写経会」などである。先人には及ぶべくもないが、寺が人々を結びつけ、寺と人々が少しでも近づくことができればと思っている。多くの皆様のご支援により、境内地等の整備が少しずつ図られてきている。山里にあるため、隣地の田んぼの陽当たりや通行を妨げている樹木を伐採してもらうなど、地域の皆様には多大のお世話をいただいている。
来る四月十八日には、鶴岡市上畑町出身の鎌倉仏師で長谷寺の美術顧問をしておられる大森昭夫氏においでいただき講演会を予定している。どういうお話をして下さるか。
(浄土宗藤澤寺 住職)