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私が暮らす街

鶴岡に関する皆様からの投稿をお待ちしております。Eメール、FAX(0235-28-2449)でご応募下さい。

【掲載インデックス】

第271回 食の未来へ  2024年11月15日号Pomme de Terre 有坂 公寿さん


第270回 音楽と教育で「共創」「共生」社会に  2024年10月15日号県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん


第269回 私が見た景色  2024年8月15日号 株式会社エルサン・鶴岡食のアンバサダー 佐藤 渚さん


第268回 「学校給食」の充実と食育の推進を!! 2024年6月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん


第267回 「平和都市宣言」と多文化共生の街づくり 2024年4月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん


私が暮らす街バックナンバー
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2024年11月15日号 Pomme de Terre 有坂 公寿さん

第271回 食の未来へ

 鶴岡市が食文化創造都市としてユネスコに認定されてから10年が経とうとしています。私のレストラン「ポムドテール」も開店から9年目。その間に年号は平成から令和に変わり、コロナパンデミックを乗り越えました。今は多様性の時代に入り、円安による物価の上昇や環境の変化も影響し、「当たり前の食事」が当たり前ではなくなりつつあります。
 例えば鶴岡市が誇る在来野菜の種の減少。長年受け継がれてきた在来野菜が、継承者不足や需要の減少で絶滅の危機にあるものがあります。この問題については若手の農家さんたちの努力により、解消とまではいかずとも改善の兆しがみえています。その努力と熱意には本当に頭が下がります。
 もう一つの問題は庄内浜の「少子化」、つまり稚魚の減少です。人間社会でも課題となっていますが、海の中でも同じことが起こっているのです。もちろん水産関係者の方々が研究や稚魚の放流などを行っていますが、いかんせん世界的な海流や環境の変化が原因なので改善や対応は容易ではありません。
 現在ではブランド化されている庄内浜の鰆は、私が酒田市ル・ポットフーで料理人見習いだった時代にはあまり見かけない魚でした。将来的には、鶴岡の冬の風物詩「寒鱈まつり」にも影響が出るかもしれません。タラが捕れなくなって違う魚種に代わってしまう可能性だってなくはありません。
 ただ、こういった事象は今までだって過去に何度もあったはずで、そしてその波をいくつも超えてきたからこそ、現代日本の飽食の時代があるのです。そもそも江戸時代までの日本の食料自給率はほぼ100%だったはず。明治時代以降に海外の国々と交流を持つことによって輸入食材が入ってきて、頼ることも多くなりました。そして現在の日本の食料自給率は63%。
 食べることに困らないというのは非常に素晴らしいことですが、過剰な食料輸入や生産など、食べ物に対して粗末になっている部分が多すぎるように思えます。日本の衛生法規や販売基準などは素晴らしいとは思うのですが、実はそれに伴い食品ロスが深刻化しています。
 幸運にも私は、鶴岡市の料理人海外派遣事業により、スペインやサウジアラビアなどで海外の食文化を体験する機会を何度かいただいています。食がここまで豊かなのは日本だけだと感じました。食材が均一に整えられているのも日本ならではの特徴です。お腹が空いた時にいつでも外食でき、お弁当が食べられます。しかもコンビニのお弁当やレトルト食品でさえ、ちゃんと美味いですものね。スーパーなどで陳列されている野菜や果物も、日本では大きさや形が均一で本当に美しい。でも形が悪いとB級品になってしまいます。はたしてそれが全て正しいのでしょうか?
 これが幼い頃から「当たり前」だと、食や食材への感謝の気持ちが薄れてしまうと思います。米は勝手に田に生えてくる訳ではないし、パンは小麦を育ててそれを製粉してくれる人がいて初めて作ることができます。豚・牛・鴨などの畜産もそれぞれの命をいただいているわけで決して当たり前にその辺にあるものではないのです。
 では「当たり前の食事」とは何か? 私はその鍵を握るのが最近よく耳にするSDGsだと考えます。私なりに解釈すると「みんな仲良く、食材を無駄なく大切にしていこうぜ」ってこと。少し端折り過ぎかもしれませんが、小さな子どもたちにも理解できるようにしようとするとこのくらい簡潔でもよいのかなと。 
 全て国産食材を使って、常に自炊することが決して正しい訳ではないと思いますし、冷凍食品やお惣菜、輸入食材に頼ることがあってもよいと思います。ただ、普通に食事できるだけで素晴らしいことなのです。多くの先人たちの努力があってこそ。そして生き物の命をいただいているのだと今一度考えてみてほしいのです。 
 私を含め飲食店従事者は、お客様はもちろんのこと、農家さんや漁師さんや畜産家さんなどそれぞれの食材を扱う業者さんがいて初めて成り立ちます。世界に認められた食の都の一つである鶴岡市の食に対する思いを次世代につなげるため、鶴岡で生きる料理人として尽力していきたいと思います。食材への感謝を忘れずに。そして皆さんの「当たり前の食事」がこれからも続くことを願っています。

【有坂 公寿(ありさか・きみとし)さんプロフィール】
1982年秋田県仙北市出身。酒田市のル・ポットフーで修行後、同市内のレストランや東京、仙台での修行を経て2016年にPomme de Terreをオープン 。最近の趣味は、家で「ばばごっつぉ」を作ること。

2024年10月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん

第270回 音楽と教育で「共創」「共生」社会に

 冬の情景を歌ってヒットした名曲「雪の降るまちを」にちなみ、「音楽の街・鶴岡」の冬を彩る「鶴岡音楽祭」が毎年1月に開催されます。
「雪の降るまちを」の作詞は内村直也さん(1909〜89年)、作曲は中田喜直さん(1923〜2000年)。どちらも東京生まれ。中田さんが、知人の菅原喜兵衛さん宅のある鶴岡で見た降雪風景からメロディを紡いだと伝えられています。音楽祭のフィナーレで歌われ、鶴岡公園疎林広場にガラス製譜面とクリスタルモニュメントがあり、鶴岡駅ロータリーにも歌碑があります。
 鶴岡市では、鶴岡土曜会混声合唱団、鶴岡放送児童合唱団、小・中・高の吹奏楽部や合唱部、市民吹奏楽団・管弦楽団、市民合唱グループなど多くが活動し、全国大会に出場する団体もあります。
 私は協奏し、「共創」する音楽が好きです。中学生の時、音楽の先生に「支援合唱部員になって歌って」と言われ地区合唱コンクールに出場し、旧県立鶴岡南高校三年の時には、校内の学級対抗合唱コンクールで指揮した思い出があります。趣味はクラシック音楽鑑賞で、TVやDVDなどで視聴し、サントリーホールなどで生のコンサートも楽しんでいます。妻は邦楽(琴・三味線)を演奏します。
 音楽と哲学・科学の歴史を遡ると、古代ギリシャのピタゴラス学派に辿り着きます。数学者・哲学者ピタゴラスは「万物の根源は数である」という言葉で知られ、数学の定理(三平方の定理)で有名です。その学派の根本思想は均整及び調和の理念で、日常生活から宇宙全体まで支配しているとしました。彼は「宇宙が音楽を奏でており、それがこの世の調和をもたらしている」と悟り、音階の主要な音程に対応する数比を発見。音楽(musica)と調和(harmonia)はほぼ同義で、「ハーモニー」という言葉もここから生まれました。音楽は重要な素養の一つで、宇宙科学、数学、脳科学との融合研究へと発展しています。
 音楽は言語能力、運動能力、聴く力、協調性、感受性、音感などを養うことができます。西洋音楽の三要素はリズム(律動)、メロディ(旋律)、ハーモニー(調和)。それらが重なり合って個性を発揮し、「共創」するハーモニーが生まれ、魂を揺さぶり魅了されるのです。西洋音楽はリズムを重視する傾向があり、日本の音楽はメロディ重視で、個性を抑えて旋律をそろえる違いがあります。
 現代社会もモノやGDP(国内総生産)重視の工業社会から産業構造を変え、ハーモニーや「ウェルビーイング(Well-being)」を重視し、個性を生かしたコラボレーション(共創)を大切にする社会構築が必要です。ウェルビーイングとは、心身と社会的な健康を意味する概念。健康で充実した生活を送っている状態、多面的な幸せを表す言葉です。瞬間的な幸せを表す英語「Happiness」とは異なり、「持続的な」幸せを意味しています。
 SDGsはSustainable Development Goals(「持続可能な開発目標」)の略称。2015年国連サミットで採択し、30年まで達成すべき17の国際目標です。目的は、貧困を終わらせ、地球環境を守り、すべての人々が平和と豊かさを享受できる世界を実現することです。「インクルーシブ(包括的)」という言葉が目標4、8、9、11、16で使用されています。包括的教育とは障害の有無に関わらず、すべての子どもが同じように教育を受けられる仕組みのこと。
 ユネスコは2023年11月に「平和、人権および持続可能な開発のための教育勧告」を194の加盟国全会一致で採択。1974年の旧勧告から半世紀ぶりに改訂されました。勧告では、各地で続く戦争や環境破壊など人間の醜態が起こしている諸問題解決のために「平和」や「持続可能な開発」などについてすべての人々が積極的に学ぶべきとしています。具現化のため、世界共通の教育課題としてジェンダー平等などの「14の指導原則」と多様性の尊重などの「12の学習目標」が盛り込まれています。包括的性教育や多言語教育などの重要性が明記され、気候変動やAIへの対応も喫緊の課題としています。
 指導原則には「コンヴィヴィアル(convivial=共生的、快活な)」、「コンパッション(compassion=おもいやり)」という言葉も使われ、「エンパワー(力づけること)」が15カ所も登場。「いのち」が元気になる表現も多い。人間以外の「いのち」を尊重することを世界共通の教育目標ともしています。日本では個人の能力開発が話題になりますが、世界の教育で今、重視されているのは「共生の大切さ」です。能力開発が戦争や環境破壊に向けられてはなりません。
 音楽と多言語教育は、文化や言葉の違いを越えてひとつのものを「共創」する喜びを共有し、「ウェルビーイング」で平和な「共生」社会の構築に寄与する力を持つと信じています。

2024年8月15日号 株式会社エルサン・鶴岡食のアンバサダー 佐藤 渚さん

第269回 私が見た景色

 この小さな少女に私は可能性ある食の未来をどう残し、与えることができるのだろう。私はステージに立ちながら、無邪気に手を振ってくれる女の子を見てそう考えていました。
 2024年6月14〜19日に中国のマカオで開催された「マカオ国際食文化フォーラム2024食文化都市ショーケース」へ参加してきました。
 7年前、私の尊敬する上司はスペインへ食文化交流を図りに海を渡りました。日本の伝統調味料を巧みに操り、五味五法五色を取り入れた鶴岡の郷土料理を披露していました。
 あの頃はまさか自分が同じ立場として海を渡ると思うはずもありませんでした。それでも海外で鶴岡の食文化を披露することに対してあこがれを持ち、いつしか自分の中で目標となっていました。
 自分自身、初めての海外で鶴岡の食文化を本当に伝えることができるのか? そう感じていました。「年齢は27歳、料理人歴は7年、女性」。この言葉を聞いて多くの人はきっと、良くも悪くも衝撃を受けると思います。
 料理の世界は男社会というのが当たり前にいわれてきました。今でこそ女性の料理人もたくさん活躍できる場ではありますが、まだまだ狭いのではないかと感じるところもあります。しかしマカオに行ってみて私はその固定概念を覆されることになりました。
 私はショーケースで、弁慶飯と絹入り麦切、そして日本の出汁が利いたそば出汁を披露しました。マカオに滞在して実感したのは、日本の食材は繊細でおいしいということ。そしてどこか日本食が恋しくなる。それはまさに和食の特徴でもある、うま味が我々の中で生きているから。そう感じました。
 準備をしていると、ほかの国の方たちは日本の出汁にすごく興味を示し、コミュニケーションを取ってくれました。その時私は、海外の方々は日本のように堅苦しくなく、楽しく料理をしていることに気付きました。「なぜあなたは料理を職としているのか?」そう問われたら、私は「料理を通して人を喜ばせることができるから」と答えると思います。
 そして、自分自身に興味を持ってもらえないことには何も始まらない、ということも。私は、自分を知ってもらうにも楽しさが大切だと思いました。そこで私はショーケースで富士山の形をイメージしたジャパニーズポーズを会場一体となってやってみました。ステージ上から見下ろすたくさんの富士山は、飛行機の中から見た富士山より美しいものでした。
 ショーが終わった後、たくさんの方々から「ジャパニーズポーズいいね!」「一緒に写真を撮ってほしい!」そう声をかけてもらい、その後必ずといっていいほど「日本(鶴岡)の料理はすごくおいしいね!」「ぜひ行ってみたい!」と言っていただきました。
 私は渡航する前、きっとどこかで「鶴岡には素晴らしい先輩料理人の皆さんがいるので、その方々のようにしっかり食文化を伝えないといけない」と思っていました。
 しかし行ってみたら実際には「高望みをせずに、自分は自分らしく、楽しんで鶴岡の食文化を伝える」ということが大切なんだと、あらためて気づきました。
 鶴岡の未来ある子どもたちに鶴岡の食文化を伝えるために、私は料理人としてまだまだやらなければいけないことがたくさんあると思います。あの時会場で手を振ってくれた少女がいつか、私が立った舞台に立って活躍するような、そんな食の未来が世界中でずっと続くように、今日も私は自分と、そして料理と向き合いながら調理場に立ちます。

【佐藤 渚(さとう・なぎさ)さん プロフィール】
1997年生まれ。株式会社エルサンで日本料理を担当。2023年11月に開催された「第3回次世代ガストロノミーコンペティション」で最高賞のグランプリを獲得。鶴岡食のアンバサダーとしてユネスコ食文化創造都市交流事業などに関わりながら、料理人として日々研さんを積んでいる。

2024年6月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん

第268回 「学校給食」の充実と食育の推進を!!

 少子高齢化が進む現代社会では、「子どもは社会の宝」という意識がいっそう重要となっています。子育ては最も公共性の高い人間の営みであり、子どもの成長を社会全体で支え、喜び合いたいものです。その中でも「食育」は、社会性や協調性が身につき、生きる力を育む上で基本となり、健康、食文化の伝承、食糧・環境問題を考える点でも重要です。
 鶴岡市は、2014年に日本で初めて「ユネスコ食文化創造都市」に認定されました。16年には「出羽三山」を通じて現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」の物語が文化庁の日本遺産に登録。17年に「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」の物語が登録。19年には、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間(北前船寄港地・船主集落)」の一つとして市海岸部の加茂の町並みなども登録されました。
 3つの「日本遺産」があり、クラゲ展示種類数世界一の「加茂水族館」や、4つの温泉地など豊富な観光資源を持ち、観光者数では山形県内の市町村で第1位という誇らしい地域です。
 もう一つ誇れるものを挙げると、鶴岡市は学校給食発祥の地です。1889年(明治22年)に山形県鶴岡町(現・鶴岡市家中新町)の大督寺境内にあった私立忠愛小学校で、生活が苦しい家庭の児童に、無料で学校給食を実施したことが起源といわれています。大督寺は、忠愛小学校開校前に旧藩士子弟教育のための英語学校が開設されていた由緒ある寺で、藤沢周平作品『義民が駆ける』にも登場します。旧庄内藩主酒井家の菩提寺で、私の家の菩提寺でもある寺の門の脇には「学校給食発祥記念碑在所」の碑が立っています。本堂に続く道の左側には「学校給食発祥の地」の記念碑もあります。
 当時、常念寺の佐藤霊山という住職を中心に、寺院の住職たちが、貧しい家庭の子どもたちも勉強できるようにと大督寺の本堂の一部に忠愛小学校を作りました。住職たちは雨の日も雪の日も休まず托鉢(お経を唱えて町を歩き、お金や食べ物を頂戴すること)を行い、弁当を持ってこられない子どもたちに昼食を作りました。これが日本の学校給食の始まりで、1月24〜30日は「全国学校給食週間」になっています。
 埼玉県北本市に学校給食の魅力が詰まった日本で唯一の施設「学校給食歴史館」があるのをご存じでしょうか? 忠愛小学校で出されていた給食メニュー「おにぎり、塩鮭、菜の漬物」のサンプルが展示されています。
 鶴岡市は学校給食で食材の地産地消を推進し、「ユネスコ食文化創造都市」認定に伴い2016年は「食文化創造都市特別献立」を、19年は「スマート・テロワール給食」を実施しました。スマート・テロワールとは、農と食を地域の中で循環させ持続可能な食料自給を目指す事業。庄内で食料自給圏を形成しようと山形大学農学部と鶴岡市が一緒に取り組んでいます。22年には「SDGs鶴岡エコ米給食」や「酒井家庄内入部400年記念献立」も提供しました。
 山形大学では、「学校給食の魅力を山形から世界へ発信〜海外向け給食紹介動画の無料配信〜」を24年2月からYouTubeで配信しています。英語版の給食紹介動画制作は初の試みで、基礎編の第1弾に続き、第2弾・地産地消編、第3弾・持続可能編の制作も進めています。海外の研究者や行政関係者に山形の学校給食の魅力や意義をPRするだけでなく、国内外の幅広い世代にその価値を再認識してもらう有効な食育教材となっています。
 私は、学校における食育のさらなる推進と学校給食の充実、給食費無償化を望みます。給食費を自治体や国が公費で賄い、全ての子どもが平等に栄養バランスのよい学校給食を食べることができ、経済的理由から子どもの健康や学習機会が損なわれないようにする役割と意義は大きい。 鶴岡市は22年11月から給食費無償化を実施し、現下の物価高騰状況等を踏まえ24年3月まで完全無償化。今後も完全無償化の継続を検討しているとのこと。
 子どもの貧困が社会問題となる中、無償で食事を提供する「子ども食堂」が急増しています。また、給食費無償化を全県で実施する青森県、東京都も区市町村の支援額の半分を都が補助するなど全国的に給食費無償化への動きが広がっています。地域格差解消のためにも、国は無駄を省く歳出改革や学校給食法の改正を行い、国庫から負担・補助するなど、国の責任と財源で無償化を進めるべきです。
 鶴岡市も多くの地方都市と同様、少子化及び大都市への人口流出などによる人口減少が極めて深刻な状況で、その対策が喫緊の課題です。学校給食費無償化をはじめとする子育ての経済的負担軽減など総合的な「子育て支援策」とともに、U・I・Jターンを支援し、若者・子育て世代に選ばれるまちづくりを推進してほしいものです。

2024年4月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん

第267回 「平和都市宣言」と多文化共生の街づくり

 国際的シンクタンクの経済平和研究所による「世界平和度指数Global Peace Index(GPI)」(2023年版)で1位となっているのはアイスランドで、日本は9位にランクインしています。「社会の安全・治安」では1位のフィンランドに次いで日本が2位。社会全体の治安の良さが表れたようです。
 しかし実際には、元首相を手製の銃で殺害する事件をはじめとする殺人・傷害事件、詐欺、強盗事件、弱者や子供たちが犠牲になる事件が起こり、令和6年能登半島地震などの自然災害も多発。決して安全・安心な国とは言えません。また、ロシアのウクライナ侵攻や中東紛争など戦争と紛争が続き、国際秩序が揺らいで核の脅威が高まる中「平和ぼけ」が心配です。
 日本は世界で唯一、悲惨な原爆の被害を受けた国です。8月6日は広島に、8月9日は長崎に原爆が投下された日で、8月15日は日本が無条件降伏した日、第二次世界大戦の終戦記念日です。いずれも1945年(昭和20年)のこと。忘れてはいけません。
 私は、父が第二次世界大戦後満州から無事帰還してこの世に生を受けました。戦争体験がありません。しかし、子供の頃、父は酒を飲むたびにつらいシベリア抑留体験を一人語りしていました。酒癖が悪いと避けていましたが、今は亡き父の話をもっと聴いてあげればよかったと後悔しています。
 石原莞爾(1889〜1949年、明治22〜昭和24年)は鶴岡市生まれ。元陸軍中将、関東軍参謀として満州国建国に関与。日中戦争に反対し、当時の首相東条英機と対立。日蓮の哲理と欧州戦史の研究を融合させ、「世界最終戦論」という独自の戦争理論を形成。第二次世界大戦後は「都市解体」「農工一体」「簡素生活」の平和三原則を提唱し、戦争放棄を主張しました。
 1984年(昭和59年)には旧藤島町が「非核平和の町」を宣言。1985年(昭和60年)には旧鶴岡市が旧市平和都市宣言。平和都市宣言を求める会運動(2008年(平成20年)などの紆余曲折を経て2011年(平成23年)には、鶴岡市議会で「世界唯一の被爆国である日本に住む私たちは、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の速やかな廃絶を訴えます。私たち鶴岡市民は戦争のない永遠の平和と文化の構築を強く決意し、ここに『平和都市』を宣言します」と議決しました。
 その後、鶴岡市は毎年8月に、二度と戦争を起こさない誓いを新たにするため「鶴岡市平和の集い・資料展」を開催。市内に残る戦争関連の史跡・施設等を地域ごとにまとめたマップや鶴岡市・戦争関連資料(寄贈品)リストもあり、市HPで閲覧できます。
 鶴岡市は国際交流・多文化共生推進のため、安全に安心して生活できるよう防災情報を提供する「鶴岡市在住外国人のための防災ハンドブック」(2023年版)を作成。やさしい日本語・英語・中国語・韓国語・ベトナム語の5言語版があります。
 第二次世界大戦終戦80年の節目を目前にしている現在も国家間の軍事衝突が世界で起きています。歴史に学ばない人間の愚かさを痛感します。そこであらためて、私が尊敬する一人であるジョン・F・ケネディ元米国大統領のアメリカン大学卒業式での演説(1963年6月10日)を思い出します。
 「平和の戦略(The Strategy of Peace)」という題で、アメリカ至上主義を否定し、未来永劫の平和主義を唱道する言葉を味わいたい。
 「私が平和について語りたいのは、戦争が新しい様相を見せているからです。複数の大国が強力な核兵器を持ち、そうした戦力に訴えずに降伏することのない時代には、全面戦争に意味はありません。たった1つの核兵器に、第二次世界大戦で連合軍の全空軍が投下した爆弾の10倍もの威力がある時代には、全面戦争は無意味です。核兵器を含む戦いで生み出された毒物が、風、水、土、種によって地上の隅々に達し、まだ生まれぬ世代にも影響をもたらすような時代には、全面戦争は無意味なのです」(中略)
 「世界平和は、地域社会の平和と同じく、隣人愛を全員に要求するものではありません。ただ互いに寛容の心を持ち、争いを公正かつ平和的に解決しながら、共に生きることだけを求めるものです。そして歴史は、人と人との対立と同じように、国同士の対立も永遠には続かないことを教えてくれます](中略)
 「たゆまずに努力を続けましょう。平和は実現できないものではなく、戦争は避けられないものではありません」=演説の一部の邦訳=
 平和な多文化共生社会を作るためには、世界各国、都道府県・市町村及び企業、学校、市民団体、個人がそれぞれの立場で連携・協働する必要があります。英語教育にかかわり、定年退職後約10年間山形大学農学部の外国人留学生に英語を通して日本語・文化を教えた経験を活かし、平和な多文化共生社会づくりに貢献し続けたいと思います。

(演説の一部邦訳)
平和な多文化共生社会を作るためには、世界各国、都道府県・市町村及び企業、学校、市民団体、個人がそれぞれの立場で連携・協働する必要があります。英語教育にかかわり、定年退職後約10年間山形大学農学部の外国人留学生に英語を通して日本語・文化を教えた経験を活かし、平和な多文化共生社会づくりに貢献し続けたいと思います。