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第281回 短歌・俳句の文化振興を願うみ 2026年1月15日号県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん
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2026年1月15日号 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん
第281回 短歌・俳句の文化振興を願う
詩歌(しいか)は漢詩、和歌、俳句、川柳などの韻文の総称です。奈良時代末に編纂された日本最古の和歌集『万葉集』は詩歌の源。日本最初の勅撰和歌集は『古今和歌集』です。和歌、短歌どちらも五七五七七の31音で、和歌は日本古来の定型詩の総称、短歌は明治以降個人の自由表現として詠まれているものを指すようです。
短歌は季語を含む必要はなく、恋歌が多い。世界最古の女性文学『源氏物語』を執筆した紫式部の生涯を描くNHK大河ドラマ「光る君へ」(2024年放映)の中で、平安時代の上流社会で気になる相手に恋文として31音に想いをしたためる様は風流で優雅なシーンでした。
天皇が年の最初に催しになられる歌会・宮中歌会始は、明治と戦後の改革により一般詠進、選歌の披講、テレビ中継放送と門戸が広がり、世界に類のない国民参加の文化行事になりました。短歌は日本伝統文化の中心をなすといえるでしょう。
令和8年の宮中歌会始の詠進歌のお題は「明」。そこで思い出されるのは酒井忠明(ただあきら、1917〜2004年)氏です。旧庄内藩主酒井家十七代当主で、写真家・書家・歌人・致道博物館名誉館長・鶴岡市名誉市民。旧制鶴岡中学(現・山形県立致道館高等学校)卒業後、「庄内学」と称される儒学や古典などを学びながら短歌を始め、歌人で万葉集研究家の国文学者・佐佐木信綱に師事。1954年(昭和29年)の宮中歌会始で 「芽ぶき立つ 裏の林に 山鳩の 鳴く音こもりて 雨ならんとす」 の歌が入選。2003年(平成15年)には天皇・皇后に招かれ歌を詠む召人(めしうど)に選ばれ、「今もなほ 殿と呼ばるる ことありて この城下町に われ老いにけり」の歌を古式にのっとった節回しで披露しました。この歌の記念碑が鶴岡公園内に建立されています。
忠明氏は書家「雍鳴(ようめい)」 の雅号を持ち、鶴岡南高校(現・致道館高)の卒業証書に卒業生の氏名を揮毫していただいていた時代があります。旧鶴翔同窓会会長として創立記念式典や卒業式で学識に裏打ちされた格調高いお話をされていたことを思い出します。
鶴岡ゆかりの歌人には、上野甚作(1886〜1945年)がいます。大正から昭和に歌集『郷土礼賛』『停雲』を発表するなど短歌の普及と振興に寄与。農業の傍ら作歌活動を行い、農村青年を啓蒙し1917年(大正6年)に機関誌「島影」を発行。22年(大正11年)歌集『耕人』を発行。農民歌人として歌会を主宰し後進を指導。県歌人会委員も務めました。
鶴岡市立図書館では上野甚作の功績を記念して1959年(昭和34年)に「上野甚作賞」を創設して短歌を毎年公募し67回を迎えます。
俳句は季語を含み、五七五17音を基本とする、世界で一番短い定型詩。日本人の美意識、自然観、哲学、思想、情趣などが込められています。明治時代に正岡子規による俳句革新運動で一般に知られるようになりました。川柳も五七五17音ですが季語を含まず、口語で人生の機微や世相・風俗を風刺的に描写するものです。
俳人・松尾芭蕉(11644〜1694年)は門人の曽良を伴い1689年(元禄2年)3月に江戸・深川を立ち、奥羽、北陸を経て大垣(岐阜県)まで5カ月間をかけて行脚。各地の珍しい風物や人情、風俗に触れ、貴重な紀行文『奥の細道』を生みました。43日間山形県に滞在し、出羽三山に6月3日から同10日まで滞在。同5日に羽黒山、同8日(いずれも旧暦)に月山、湯殿山の三霊山を踏破しました。県内でも多くの名句を残し、出羽三山神社境内の羽黒山芭蕉像の右横と、いでは文化記念館に三山三句碑があります。「涼しさや ほの三か月の 羽黒山」「雪の峰 幾つ崩れて 月の山」「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」。山王日枝神社境内には句碑「珍らしや 山をいで羽の 初なすび」があります。
正岡子規は1893年(明治26年)7月19日から8月20日まで約一カ月間、芭蕉の足跡を訪ねて東北地方を旅し、紀行文『はて知らずの記』を書きました。8月6日から9日まで山形県内を旅し、最上川を下り庄内地方の清川や酒田に立ち寄り、秋田に向かいました。高浜虚子(きょし)も山形県を訪れ、出羽三山神社境内鏡池近くの「虚子三代句碑」の中に1956年(昭和31年)に羽黒山で詠んだ「俳諧を 守りの神の 涼しさよ」の句碑があります。羽黒山全国俳句大会は高浜虚子の来山を機に1959年(昭和34年)から開催され68回を重ねています。
庄内を対象に文芸・評論・作文などで功績があった方へ贈られる鶴岡市の「高山樗牛賞」も68回を数えています。荘内日報社主催の俳句・短歌コンクール「荘日新春句歌歳時記」は38回。新聞各紙・広報誌などには歌壇・俳壇・柳壇の投稿コーナーもあります。文芸振興のため、作品顕彰の継続を願ってやみません。
