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寄稿

【掲載インデックス】

2026年10月1日号 「人類学とAIの未来を考える」

県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん

2026年9月1日号 「子どもにも大人にも人気 児童文学作家・斉藤 洋さん来鶴」

子どもの読書を支える会 戸村 雅子さん

2026年1月1日号 特別エッセイ「新陳代謝」

作家 佐藤 賢一さん

寄稿バックナンバー
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2026年10月1日号 「子類学とAIの未来を考える」
 県立産業技術短期大学校庄内校・非常勤講師 伊藤 美喜雄さん

 庄内平野は旧石器時代や縄文時代から人間が住み、丘陵地や山麓には狩猟・採集生活の遺跡が点在しています。鶴岡には「出羽三山生まれかわりの旅」(山)、「サムライゆかりのシルク(里)、「北前船寄港地船主集落」(海)の三つの日本遺産があり、出羽三山信仰、城下町文化、北前船など文化遺産の保存・活用を推進しています。宗教実践、交易、都市形成、バイオコミュニティなどをテーマに民俗学的・人類学的フィールドワークに良い地域です。
 民俗学(folklore studies)
は、特定の地域や集団の人々が日常生活で育み継承した風俗・習慣・信仰・行事・物語などを現地調査・記録・分析し、その文化の成立と意味を明らかにする学問。歴史学や文化人類学と連携し、庶民の生活文化を中心に据える特徴があります。
 人類学(anthropology)は人間を生物学的・社会文化的存在として総合的に理解する学問で、進化や身体的特徴から社会・文化・言語・歴史まで対象にする社会文化人類学があります。ヒトという生物がどのように誕生し、他の動物とどう異なり、どんな文化を持つ存在か、実地調査をして科学的に明らかにする学問です。
 鶴岡に縁のある人物には、民俗学者の戸川安章(あんしょう)氏(1906〜2006年)、文化人類学研究者の山口吉彦氏(1942年〜)らがいます。戸川氏は東京生まれ。出羽三山の修験道研究で大きな功績があります。日本山岳修験学会顧問、羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。著書に『修験道と民俗』『新版 出羽三山修験道の研究』など。山口氏は鶴岡生まれ。南米アマゾンの貴重な民俗資料を収集し、地元で国際理解と交流促進に尽力。アマゾン民族館・自然館館長(2014年3月に閉館)。
 ドゥーガル・ディクソンの著書にSF的科学書『マン・アフター・マン 未来の人類学』があります。この本では遺伝子操作や環境変化の進んだ数百万年後の「未来の人類」が、過去の化石人類を調べるように図鑑的に描かれています。
 最近の人類学は、人類学が培ってきた「人間の行動や感情を、文化や社会の文脈の中で読み解く視点」と未来洞察により「想定外の社会変化まで視野に入れ、複数の可能性を描く視点」を融合する「人類学×未来洞察」という未来志向の動きがあります。気候変動などによる環境危機や人口変動で人間・社会・文化がどう変わるか、「人工知能AI(Artificial Intelligence)」や技術革新が人間や暮らしをどう変えるかを研究し、将来に資することを期待します。
 私は、英語教師として認知科学(cognitive science)の知見を応用する認知応用言語学を研究してきました。人間や動物の「知」や心の働きを情報処理の観点から解明する学際的な科学で、心理学・神経科学・言語学・情報科学・哲学などが協力して、知覚・記憶・思考・学習・言語・意思決定などの仕組みを研究するものです。研究領域は、認知心理学、神経科学・認知神経科学、言語学(文法・意味・言語処理)、コンピュータ科学・人工知能、哲学(心の哲学、認識論)、人類学、教育学などです。認知科学はコンピュータと人工知能研究の発展が大きな契機となり、発展・進化しています。
 AIは日常生活に浸透しています。AIは既存の膨大なデータから物事を分析・判断・予測し、生成AI(Gen AI)は学習したデータを元に革命的な能力で全く新しいコンテンツを創造できます。最近、AGI(Artificial General Intelligence、汎用人工知能)やASI(Artificial Super intelligence、人工超知能)という言葉も見聞します。AGIは人間と同等の知能を持つ人工知能。ASIは人間の知能を超える自己学習・自己進化する人工知能。人間には解決困難な問題の解決策を提示可能だそうで、社会や科学技術が人知を超えて指数関数的な速度で進歩・進化するといわれています。
 AIは技術の革新、作業の効率化、情報の整理・分析、発想支援に有用です。しかし、生成AI開発激化で雇用喪失、制御不能のリスクがあります。悪用や暴走防止、武器としての活用の抑止も課題となるでしょう。人間の知能を上回る生成AI開発や軍事利用を管理、監視、規制する実効性ある国際協調の枠組みづくりが必要です。人類が破滅するような未来にしないために。
 医学やビジネスマーケティング戦略などでは「虫」「鳥」「魚」「コウモリ」の四つの「目(視点)」が重要とされます。複眼の虫は「多角的に物事を見る」。鳥は「高い位置から俯瞰して全体を見る」。魚は「潮流や潮位に注意し、時流を見定め行動する」。コウモリの目は「視点を変えて物事を見る」ことを指します。そして五つ目、人間だけが持つ「心の目」、人道的洞察力も重要です。
 AIが代替すべきではない職業として教育職があげられます。人類のための公正なAI教育の推進を切望します。平和で健全な社会構築のため、思考力を育成する人間教育が肝要です。AI時代に求められる能力は、将来展望を持ち変化に適応してAIを正しく使い、五つの目を持って人間特有の判断・協働・創造力で価値を生み出す力です。不安定な社会情勢を乗り越える勇気と希望を持ち、未来を創る若者に期待します。

2026年9月1日号 「子どもにも大人にも人気 児童文学作家・斉藤 洋さん来鶴」
 子どもの読書を支える会 戸村 雅子さん

 子どもたちが本を読まなくなったという声が広がる中で、学校図書館や市立図書で斉藤 洋(ひろし)さんの本の貸し出しは群を抜いているとか。
 斉藤さんの何が子どもたちを引き付けるのか、どこが面白いのか、また、子どもたちの本離れという風潮をどう見るかなど、私たち「子どもの読書を支える会」は、斉藤さんから直接語っていただきたく、鶴岡にお呼びすることにした。
斉藤さんの作品のジャンルは信じられないほど多種多様、多岐にわたっている。「おばけずかん」シリーズ、「歴史物」ねこが主人公の「ルドルフ」シリーズ、らくごで笑学校、「イーゲル号航海記」シリーズなど、挙げたらきりがないのでこの辺で。とにかく著作が多く、市立図書館のサ行の棚の前で、どれを選べばいいか、くらくらするほどである。
「ルドルフ」シリーズは全5巻、これが面白いと評判だ。物語は、ねこたちが言葉を交わし、友情を育て喧嘩をしたり悲しんだり好きになったり、ローマ字の勉強をしたりもする。彼らは「教養あるねこ」をめざしているのだ。しかし日常的にはやくざな言葉でどなったり、わめいたり、蹴ったりひっかいたり。そんなねこ世界だ。
 私が幸運にも市立図書館で手に取ることができたのは第5巻「ルドルフとノラねこブッチー」だ。ルドルフの友だちのブッチーが本篇の主役である。飼い主の金物屋が倒産して、ブッチーを置いてどこぞの町へ引っ越してしまった。ブッチーは考えた。自分を連れて行かないには、それなりの事情があるのだろうと。ところがしばらくして、ブッチーの友だちが町で金物屋を見かけたと言う。それからも金物屋はしばしば現れて、ブッチーを探しているようだと言う。
 ブッチーは、耐えていた飼い主への思慕を行動に移すことを決心する。「どんなことがあったとしても、おれは、もとの飼い主のところに行ってみせる」。ブッチーを応援するのはもちろんルドルフとイッパイアッテナだ。
 そして、飼い主探しの冒険が始まる。波乱万丈、劇的、ドラマチックな物語が展開する。
 艱難辛苦をものともせず、とうとう金物屋のすむ街にたどりついたブッチー一行。ところがそこには先住ねこが3匹待っていて、最後の熾烈な縄張り争いが始まるのだ。自分たちの名誉にかけても新参者を入れまいとする街のねこ。一方、やっとのことでたどり着き、会いたい人を目前にして負けるわけにはいかないブッチーチーム。その戦いはこの物語の華である。
 「おめえら、なんていう名だ」、「山賊あいてに、名のる名はない」。彼らがポンポン飛ばすやくざな言葉はリズミカルで軽妙で楽しめる。 
 この戦いはどうなるか? ブッチーは、金物屋に会えるか? 金物屋は、ブッチーを再び飼いねこに迎えるか?
 その意外な展開と結末に、私は涙したのである。

【斉藤洋氏 プロフィール】
 1952年7月16日生まれ。日本のドイツ文学者・児童文学作家。亜細亜大学経営学部教授。
 1975年中央大学法学部法律学科卒業。1986年に、第27回講談社児童文学新人賞へ『ドナルドとイッパイアッテナ』を投稿し受賞、児童文学作家としてデビューする。

2026年1月1日号 特別エッセイ「農業ルネサンス」
 作家 佐藤 賢 一さん

 京都の清水寺が発表したところ、昨年の世相を表す漢字一文字は「熊」だった。頷くしかないというのは、鶴岡でも熊は信じられないところに、信じられないくらいの頻度で現れたからだ。季節も問わず、一年中ずっと現れたので、朝晩は気軽に外に出られないと思うのが、もう当たり前になってしまった。外に向けても、鶴岡は良いところなので是非いらしてください、などとは簡単にいえなくなった。訪ねて熊に襲われたとなっては、申し訳ないでは済まされないからで、実際、鶴岡の観光産業には影響が出たのではないか。
 まさに由々しき事態だったが、さらに加えて、もうひとつ世相を表す漢字一文字を挙げるとするなら、それは「米」ではないかと私は思う。いうまでもなく、かつて覚えがないほどの値上がりがあったからだ。一昨年からの話で、たまたま米が不足したことによる、一時的なものかとも思ったが、昨秋に新米が出ても変わらなかった。すでに高値は常態化していて、それも改めて驚くことには、以前に比べて、ほとんど倍値になっているのだ。ペットボトルのジュースが三百円とか、軽自動車が四百万円するとか、そんなレベルの値上げだ。これが外国だったら、冗談でなく暴動が起きるのじゃないかと思うほどだ。
 それでも高値は変わらない。政府も、自治体も、基本的には介入しない(おこめ券だか商品券だかは配るようだが)。米価も需要と供給の市場原理で決まるのが本当だからというのだ。なるほど、その通りかもしれない。少なくとも理屈は通っている。しかし理屈は常に諸刃の剣である。
 これまでが安すぎたのであり、今が適正価格なのだともいう。確かに前は安かったが、なぜかといえば、米は日本人の主食だからだ。誰もが食べずに済まされないものだから、価格は安く抑えられてきたのだ。ひきかえに米作には特権的な地位が与えられてきた。補助があり、補償があり、高い関税で外国米を阻むことで、競争も免除された。この手厚い保護は、自由競争の市場原理に基づくものではない。逆に国による管理であり、操作であり、つまりは社会主義的だ。それで安値を強いられるのは不当だと、こたび高値をつけたわけだが、そうすると、もう後戻りは許されない。かえって米価が下がる日が来ても、大量の外米が輸入され、いよいよ暴落したとしても、あるいは天候不順で壊滅的な不作に見舞われても、全ては自由競争における自己責任なので、補助も、補償も得られない。いや、そんな話は聞いていない、何もなくなるはずがないと返されるかもしれないが、なお国が救済措置を講じるなら、その原資は税金なのだ。高い米価を支払わされた国民は、その投入を容認しない。選挙が怖い政治は改まらざるをえず、制度も変わらざるをえない。諸刃の剣というのがそこで、他面で農業には非常に厳しい時代が来たのだ。
 とはいえ、ここでもう一度ひっくり返せば、やはりチャンス到来である。これまでの農業は安全だけれど、がんばっても甲斐がなかった。これでは停滞、さらには衰退に向かうばかりだ。これからは違う。がんばれば儲かる。失敗のリスクもあるが、リターンも大きい。ありかたは一変して、まさに農業ルネサンスだ。農業が鶴岡の基幹産業のひとつであるなら、それは地域活性化のチャンスともいえる。既存の農家は励まなければならないし、新たな就農も、会社形態の大規模農業だって、どんどん奨励されるべきだと私は思う。休んでいる田畑があるなら、残らず任せればよい。それでも足りなければ、さらに切り拓けばよい。これからは自由競争なのだから、減反政策だって取り下げられざるをえない。農業が衰退して、耕作地が減り、里山がなくなって、その結果が自然と都市の近接であり、熊の出没を招いた一因であるとするなら、再び耕作地を拡げる農業ルネサンスは、獣を山に追い返す妙策にもなるだろう。

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