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特別エッセイ「新陳代謝」

2026年1月1日号 作家 佐藤 賢一さん

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2026年1月1日号 特別エッセイ「農業ルネサンス」
 作家 佐藤 賢 一さん

 京都の清水寺が発表したところ、昨年の世相を表す漢字一文字は「熊」だった。頷くしかないというのは、鶴岡でも熊は信じられないところに、信じられないくらいの頻度で現れたからだ。季節も問わず、一年中ずっと現れたので、朝晩は気軽に外に出られないと思うのが、もう当たり前になってしまった。外に向けても、鶴岡は良いところなので是非いらしてください、などとは簡単にいえなくなった。訪ねて熊に襲われたとなっては、申し訳ないでは済まされないからで、実際、鶴岡の観光産業には影響が出たのではないか。
 まさに由々しき事態だったが、さらに加えて、もうひとつ世相を表す漢字一文字を挙げるとするなら、それは「米」ではないかと私は思う。いうまでもなく、かつて覚えがないほどの値上がりがあったからだ。一昨年からの話で、たまたま米が不足したことによる、一時的なものかとも思ったが、昨秋に新米が出ても変わらなかった。すでに高値は常態化していて、それも改めて驚くことには、以前に比べて、ほとんど倍値になっているのだ。ペットボトルのジュースが三百円とか、軽自動車が四百万円するとか、そんなレベルの値上げだ。これが外国だったら、冗談でなく暴動が起きるのじゃないかと思うほどだ。
 それでも高値は変わらない。政府も、自治体も、基本的には介入しない(おこめ券だか商品券だかは配るようだが)。米価も需要と供給の市場原理で決まるのが本当だからというのだ。なるほど、その通りかもしれない。少なくとも理屈は通っている。しかし理屈は常に諸刃の剣である。
 これまでが安すぎたのであり、今が適正価格なのだともいう。確かに前は安かったが、なぜかといえば、米は日本人の主食だからだ。誰もが食べずに済まされないものだから、価格は安く抑えられてきたのだ。ひきかえに米作には特権的な地位が与えられてきた。補助があり、補償があり、高い関税で外国米を阻むことで、競争も免除された。この手厚い保護は、自由競争の市場原理に基づくものではない。逆に国による管理であり、操作であり、つまりは社会主義的だ。それで安値を強いられるのは不当だと、こたび高値をつけたわけだが、そうすると、もう後戻りは許されない。かえって米価が下がる日が来ても、大量の外米が輸入され、いよいよ暴落したとしても、あるいは天候不順で壊滅的な不作に見舞われても、全ては自由競争における自己責任なので、補助も、補償も得られない。いや、そんな話は聞いていない、何もなくなるはずがないと返されるかもしれないが、なお国が救済措置を講じるなら、その原資は税金なのだ。高い米価を支払わされた国民は、その投入を容認しない。選挙が怖い政治は改まらざるをえず、制度も変わらざるをえない。諸刃の剣というのがそこで、他面で農業には非常に厳しい時代が来たのだ。
 とはいえ、ここでもう一度ひっくり返せば、やはりチャンス到来である。これまでの農業は安全だけれど、がんばっても甲斐がなかった。これでは停滞、さらには衰退に向かうばかりだ。これからは違う。がんばれば儲かる。失敗のリスクもあるが、リターンも大きい。ありかたは一変して、まさに農業ルネサンスだ。農業が鶴岡の基幹産業のひとつであるなら、それは地域活性化のチャンスともいえる。既存の農家は励まなければならないし、新たな就農も、会社形態の大規模農業だって、どんどん奨励されるべきだと私は思う。休んでいる田畑があるなら、残らず任せればよい。それでも足りなければ、さらに切り拓けばよい。これからは自由競争なのだから、減反政策だって取り下げられざるをえない。農業が衰退して、耕作地が減り、里山がなくなって、その結果が自然と都市の近接であり、熊の出没を招いた一因であるとするなら、再び耕作地を拡げる農業ルネサンスは、獣を山に追い返す妙策にもなるだろう。

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